皇后さまは徳島に行かれるのか、行かないのか。二つに一つの選択に全国の目が集まったことがある。行かないを選んだのは、宮内庁長官だが、25年を経て、それは間違いだったと思う

 異変が起きたのは、皇后さま59歳の誕生日だった。当時、通信社の宮内庁担当として「皇后さま倒れる」の報を打った。ほどなく回復されたが、声を発せられない。心労とされた

 徳島での国体開会式は4日後。両陛下の侍医長は「一両日休養を取れば、国体にも出席できる」との所見を発表した。しかし、宮内庁には「無理をなさらないで」との声が続々と届く

 出発前日の夕刻。行くかやめるか、決断の時が来た。長官は、両陛下の住まいだった赤坂御所へ。侍従長ら幹部との鳩首協議が続き、夜になった。皇后さま自身は、当然行くものとお出掛けの支度をされている

 侍医長は「気力充実の上でも行かれた方がいい」との考えだ。深夜に発表された結論は、多くの国民の声に押され「大事を取って取りやめ」となる。その後も失声症状は数カ月続いた

 ある側近は「ふれあいが何よりのお薬」と言った。もう一つの選択だったなら、わが古里の人々が傷心の皇后さまを温かく迎えたことだろう。事態は好転していたかもしれない。励まし、そして励まされ。それが、両陛下の旅だったと承知している。