サッカーJ1の広島から、アジアの強豪クラブ・アルアイン(UAE)に移籍する塩谷司選手(28)=徳島県小松島市出身=が、移籍の理由や今後の目標、日本代表への意欲、故郷の徳島への思いなどを語った。

(聞き手=デジタル編集室・城福章裕)

J1広島から海外のアルアインへ移籍する塩谷選手=広島市のエディオンスタジアム広島(サンフレッチェ広島提供)

飛躍となった広島への移籍とプレーを振り返って

―2012年8月にJ2水戸からJ1広島へ移籍した
広島はリーグ初優勝の年だったんですけど、優勝争いをしてまして、Jリーグのトップの中でプレーできるということで移籍しました。

―サッカー人生の中で広島が一番長く在籍(5年間)したチーム。印象深かったのは
たくさんありますね。5年間で3回(リーグ)優勝できたのは自分の中で財産ですし、来たときには3回も優勝できるとは思わなかった。ACL(アジアチャンピオンズリーグ)やクラブW杯というすごくレベルが高い大会に出られたというのは、いい思い出であり、いい経験。自分の中で変化を与えてくれたきっかけだった。

―最初の優勝のとき、優勝がかかった試合(2012年第33節・C大阪戦)にも出場した
おいしいとこ取りじゃないですけど、ああいう試合に、1年目出たのは途中から移籍して出たのは1試合か2試合ぐらい。(リーグ終盤に)累積で森脇君(森脇良太・現浦和)と千葉ちゃん(千葉和彦)が出られなかった試合で、スタメンで出たんですけど、優勝争いしている中で、少なからず試合に出られたのは大きな経験になった。次の年につながったなというふうに思っています。

―全国のタイトルは広島に来るまでなかった
日本一になれたのは非常に、自分の中で素直にうれしかった。日本一を取ってから、やっぱりアジアも取りたいという思いがすごく強くなったのを感じています。

―広島で成長できた部分は
1番は攻撃のところかな。新しい自分のプレースタイルというか、今までになかった部分を引き出してくれたなって。それは(森保)監督もそうですし、チームメートにすごい引き出してもらったなって。チームメートがいろんな形でサポートしていくれて伸び伸びやらせてくれたのが、攻撃が伸びた要因かなと思う。

―一時期、得点を量産した
ポジションはどこだって言われてましたけど。ディフェンスだから攻撃しないとか、オフェンスの選手だから守備しないとか、そういうのは一番つまらないなと、型にはまるじゃないですけど。これだけやっておけばいいという時代でもないですし。例えば、小さい子たちが、僕のプレーを見て、ディフェンスをやってる子が、今までディフェンスやってたけど、オフェンスもするようになればいいし、これだけをやるということほどつまらないことないと思うんで、もっともっと欲張っていろいろやってほしいと思う。そうじゃないとサッカーは面白くないなと。広島での5年間は非常に楽しくサッカーできたなと思っています。

―キャプテン翼のようだと話題になったシュートがありましたね
「それ入るの」みたいなのが入ったりして。そういうのは、運も良かったと思いますけど。

―攻撃の意識があったからそういうのにつながった
もう一回やれと言われてできるようなものでもないし、サッカーは相手ありきなので、同じ状況というのはほぼないですし、思っててもゼロに近いぐらいないですし、まぐれもありますよ。たくさん。

―広島でクラブW杯、ACLと国際経験を積む中で、まだまだやれると感じた部分はあるか
まだまだやれるとも思ったし、アジアでもすごいレベルが高いな、クラブW杯はもっとレベル高かったですし、やれるなという思いと、まだまだ足りないなという部分もたくさんあったなと思います。

―ACLやクラブW杯を経験して、足りないと感じたところは
一つ一つの技術、ボールを止めて蹴るに関しては、プレッシャーの中でも、アジアの選手でも巧い選手はたくさんいた。相手を削って、けがをさせててでも勝ってやろうという、激しいタックルも飛んでくる。日本じゃありえないようなタックルが飛んでくる。それぐらい勝利に対するハングリーさっていうのを見習わなければならないと。けがをさせるのがいいことではないが、それぐらいの気持ちで、試合に勝つために貪欲にやるっていうのも、ACLで教わった部分の一つ。

(2017年6月27日)

塩谷司選手インタビュー(下) 日本代表や故郷・徳島について