最高裁が2件の強盗殺人事件について、一審の裁判員裁判の死刑判決を破棄して無期懲役とした高裁判決を、支持する決定をした。裁判員裁判で死刑判決破棄の確定は初めてだ。

 裁判員らの市民感覚を反映した死刑という重い判断を、プロの裁判官が覆したわけである。今回の決定を、よりよい裁判員裁判の在り方を考える契機にしたい。

 2件は2009年に東京都港区で男性が殺害された事件と、同年に千葉県松戸市で女子大学生が殺された事件だ。

 最高裁は、港区の事件について、被告が口論の末に妻子2人を殺害した前科を一審が重く見た点に着目し「今回の強盗殺人とは関連が薄い。前科を重視しすぎるべきではない」と指摘した。

 千葉の事件も、一審では被告が強盗などの前科で服役の直後に類似の犯行を繰り返した点を死刑の理由としたが、最高裁は「殺害されたのは1人で、計画性もない。死刑を選択する根拠にするのは困難だ」とした。

 死刑判断に関しては1983年に最高裁が示した「永山基準」に沿った判例が積み重ねられている。基準には、犯罪の性質、動機、殺害方法の残虐性、被害者数、年齢、前科などの判断要素がある。

 最高裁は「裁判員らの評議では、犯行の計画性や殺害された被害者の数、前科などを考慮し、同種事案の量刑傾向との公平性も踏まえて死刑がやむを得ないと言えるかを議論すべきだ」と指摘した。

 そして、死刑を選択する場合は、説得力のある根拠を示す必要があると述べた。

 最高裁の指摘は重く受け止めるべきだ。判例と裁判員らの判断に開きが出て、刑罰の公平性を保てなくなる事態を招いてはならない。

 裁判員裁判の一審判決が高裁、最高裁で再検討された結果、覆されることがあるのは当然だ。人命を奪う死刑という判断は、慎重の上にも慎重を期さなければならない。

 だが、考えなければならないことがある。そもそも、裁判員制度を導入した狙いの一つは、硬直化したプロの裁判官の判断に国民の感覚を取り入れることである。

 制度の趣旨に基づき、死刑を選んだ裁判員が、今回の決定を素直に受け入れられないとしても無理はなかろう。

 港区の事件で裁判員を務めた50代の女性は「悩み抜いて出した死刑の破棄が確定するのは、納得できない」と話した。「これでは裁判員裁判の意味がなくなってしまう」と言う弁護士もいる。

 これらの問い掛けに裁判所はどう答えるのか。

 裁判員制度の導入後、殺人事件や性犯罪事件で厳罰化の傾向が強まった。裁判員の市民感覚が反映された結果といえるが、裁判所には厳罰化を懸念する声があるようだ。

 今回の決定には、厳罰化の流れに一定の歯止めをかける狙いもあるとみられる。

 いずれにせよ、裁判員は人を裁く重責を担い、時には死刑というぎりぎりの判断を迫られる。そこで示される市民感覚を裁判所がどう生かすかが、問われよう。

 裁判員制度のスタートから6年近くになる。裁判員を務める国民から信頼されなくなれば、せっかくの制度が形骸化する恐れがある。制度を熟成させるためには幅広い論議が必要だ。