晩年を徳島で過ごしたポルトガルの文人モラエス(1854~1929年)の遺品や著書などを展示している徳島市の眉山山頂のモラエス館が、今月末で閉館する。

 徳島市が、老朽化したモラエス館を解体し、観光展望施設を建設するためだ。収蔵品は、隣接する展望休憩施設を改修して展示される。

 モラエスは近年、関連書籍が出版されるなど再評価の機運が高まっているほか、1969年に徳島市とポルトガルのレイリア市が結んだ姉妹都市提携のきっかけになった。

 展示に当たっては、その業績と文人の名に恥じない十分な配慮を求める。

 ポルトガルの海軍士官であり、神戸総領事を務めたモラエスは13年7月、亡き妻おヨネの古里・徳島に移り住んだ。徳島市伊賀町の長屋でおヨネのめいのコハルとともに暮らしながら、文筆活動を続け、徳島での見聞を母国の新聞などで伝えた。

 その業績を今に伝える施設がモラエス館だ。徳島市観光協会と徳島日本ポルトガル協会が、企業などからの寄付を基に、76年7月1日、旧ロープウエー駅舎の2、3階を改造してオープンさせた。

 3階の資料展示室(76平方メートル)には、モラエスが執筆した「徳島の盆踊り」や「おヨネとコハル」、評伝類、家族写真のほか、モラエス、おヨネ、コハルの遺髪など計約370点が展示され、文人の人生を生々しく伝えている。

 中でも趣があるのは、モラエスが「徳島の盆踊り」などを執筆した書斎を再現した四畳半の部屋で、机や脇息、鉄の火鉢などの調度品が当時の生活をしのばせる。

 モラエス館は市観光協会が運営し、とくしま観光ガイドボランティア会に管理などを委託。入館料や市からの補助金などで賄っている。

 残念なのは、入館者数の伸び悩みだ。開館して最初の9カ月が1日平均25人で、その後、増減はあるが、昨年は1日31人だった。

 それでも、入館者の中にはドイツ、オーストラリア、デンマーク、香港、台湾など海外からの観光客らも目立つ。 モラエス館が徳島の文化の発信に一定の役割を果たしたことは、評価しておきたい。

 新しい展示の在り方について、徳島日本ポルトガル協会の桑原信義会長は「今は眉山観光のついでに訪れる観光施設になっている。学術・文化施設として資料の展示・保管が、評価に耐えられるものにしてほしい。展示替えや催しも必要だ」と指摘する。

 市観光協会は、モラエスが故国の妹フランシスカに送った約600点の絵はがきなども保管している。今後、活用に知恵を絞ってほしい。

 市は展望休憩施設を改修し、1階の100平方メートルを利用してモラエスの展示スペースを設ける計画で、今月中に設計を終える。モラエス館跡に建設する観光展望施設とともに来年1月ごろ着工し、秋に完成させる予定だ。

 改修が終わるまでの間、収蔵品を展示する場所は、立地が便利で来訪者が見込める施設にする必要がある。

 施設の建築、改修は、市が進める眉山から徳島駅に至る区域の観光振興やにぎわいづくりに向けた眉山魅力アップ計画の一環だ。

 将来的には、モラエス館の再建設も含め、顕彰に力を入れてもらいたい。