鳴門市の板東俘虜(ふりょ)収容所で、ベートーベンの「第九」交響曲がドイツ兵捕虜によって演奏されたのは、第1次世界大戦中の1918年6月1日だった。これが第九のアジア初演とされる。

 市では3年後に迫った初演100周年に向け、記念プロジェクトの策定などさまざまな取り組みが始まっている。

 市は今年をカウントダウン開始年と位置づけ、1月から全職員を対象に第九初演の歴史を学ぶ研修を実施。4月には、アジア初演の地として鳴門の名をPRするため、第九ブランド化推進室を設けた。官民一体となって盛り上げる態勢づくりを進めてほしい。

 先月7日に同市で開かれた恒例の第九演奏会では、姉妹都市のドイツ・リューネブルクの市立劇場で音楽監督を務めるトーマス・ドーシュさんがタクトを振り、全国から集った577人が「歓喜の歌」を高らかに歌い上げた。

 ドーシュさんは、迫力ある合唱に「これほどの規模はドイツにはない。声の大きさにも驚いた」と感想を語った。

 鳴門市が34回にわたり演奏会を続け、腕を磨いてきた成果だろう。これまでの経験と実績を生かし、初演の地にふさわしいメッセージを全国、世界に発信してもらいたい。

 100周年に向けて市と民間団体が設けた「プロジェクト推進協議会」は、記念プロジェクトの基本計画をまとめた。著名な指揮者を招いての演奏会や、収容所跡の国史跡指定申請といった事業を盛り込んでいる。来月にも詳細な事業内容を決める方針だ。

 その際、忘れてはならないのは、鳴門市がアジア初演の地となった経緯である。

 板東俘虜収容所で捕虜たちは音楽活動や新聞発行、ビールを飲むことまで許された。捕虜の人権を無視した収容所が多かった中、当時の松江豊寿所長が人道的に扱ったことが第九初演に結び付いた。

 そんな背景から市はドイツの都市と友好関係を築き、松江所長の出身地・福島県会津若松市とも交流するようになった。第九初演を平和と友好の象徴と捉え、しっかりと事業に反映すべきだろう。

 さらに難しい課題がある。音楽遺産である第九を、若者に引き継いでいくことだ。

 第九演奏会も少子高齢化の波にさらされている。鳴門「第九」を歌う会によると、演奏会を初めて開いた82年には、出演者377人のうち100人以上を中高校生が占めたが、近年は20~30人に減っているという。

 市と歌う会は2年前から市内の幼稚園と小中学校を訪れ、第九初演の歴史を教えたり、歌を指導したりしている。この取り組みを一層強化してもらいたい。

 県は来年1月、アスティとくしまで県内最大規模の第九演奏会を開く。全国から出演者千人以上を募る計画だ。ファンの裾野を広げるため、ぜひ若い人に参加を呼び掛けてほしい。そして次の100年につなげる人材を育てたい。