先の大戦が終わってから、70年になる。あすは終戦記念日である。
 
 県都・徳島市は阿波踊りに沸き立ち、熱気に包まれている。祭りを存分に楽しめるのは平和だからこそだ。
 
 戦争で亡くなった多くの犠牲者の上に築かれた平和である。その原点を、私たちは決して忘れてはならない。
 
 節目の日を迎えるに当たって、冥福を祈るとともに、二度と戦争はしないとの誓いを新たにしたい。
 
 長い年月がたち、戦争を体験した人は少なくなっている。共同通信社が5~6月に実施した戦後70年の世論調査で「戦争体験を含めて直接知っている」と答えた人は、わずか6%だった。
 
 記憶を風化させない努力は、今後ますます重要になってくる。
 
 あの時代、日本は戦地で何を行い、国内では何があったのか。事実を知ることが、過去を繰り返さないための力となろう。体験した人たちの話に耳を傾け、残された証言や記録をたどり、そして次世代にしっかりと伝えていくことが、今を生きる私たちの務めである。
 
 徳島県内では、県遺族会が毎月、徳島市雑賀町の県戦没者記念館で戦争体験者の講演会を開いている。小松島市立江町の住民でつくる「たつえ歴史教室」は、6月から「戦後70年の記憶」と題した連続講演会を催している。
 
 語り継ぐ集いや資料展、写真展なども各地で行われている。いずれも、末永く続けてほしい取り組みだ。
 
 70年間、非戦を貫き、自衛隊は一人の兵士も殺さずにきた。日本にとって、戦争は遠い過去の出来事となった。
 
 しかし、もう昔の話とは言えなくなるのではないか。そんな不安が今、急速に高まっている。集団的自衛権の行使容認を柱とした安全保障関連法案の成立を、安倍晋三首相が目指しているからだ。
 
 安倍政権は昨年、歴代内閣が憲法9条の下では許されないとしてきた集団的自衛権行使を、武力行使の3要件を満たせば認められるとする閣議決定を行った。
 
 自国が直接攻撃を受けなくても、密接な関係にある他国への攻撃を実力で阻止する集団的自衛権の行使は、日本が堅持してきた「専守防衛」の理念と相いれない。
 
 戦後日本の出発点となった「平和主義」を骨抜きにしかねないにもかかわらず、安倍政権は憲法解釈の変更で容認してしまった。それは、憲法が国家権力を縛る「立憲主義」を否定するものだ。
 
 安保法案は衆院を通過し、議論の場は参院に移っているが、審議をすればするほど疑念は深まっている。
 
 首相は、北朝鮮や中国の動向を挙げて安保環境の厳しさを強調する。だが、それらは個別的自衛権で対処すべき問題ではないのか。
 
 法案は自衛隊の活動範囲を拡大させ、後方支援で弾薬も提供できるようにする。日本が戦争に巻き込まれるとの懸念が広がるのは当然だろう。
 
 法案をめぐって、首相の側近である首相補佐官が「法的安定性は関係ない」と発言した。反対する若者グループを「『戦争に行きたくない』という極端な利己的考え」と批判した自民党議員もいた。
 
 一部の人の失言だと見過ごせるだろうか。時代が戦前に逆戻りしたような物言いに、戦争の記憶が風化しつつある現実を感じざるを得ない。
 
 平和と民主主義が大きく揺らいでいる時だからこそ、過去と厳しく向き合う姿勢が大事になる。
 
 首相はきょう、戦後70年談話を発表する。
 
 戦後50年の村山富市首相談話にある「反省」や「植民地支配」「侵略」「おわび」を盛り込むかどうか。
 
 注目されているのは、よその国から言及を求められているからではなく、平和の原点に立ち返るために、私たち自身が確認すべき歴史認識だからである。
 
 首相は「この70年の日本の歩みを誇りに思う。今後も地域や世界にもっと貢献していく」と述べている。
 
 問題は貢献の中身だ。掲げる「積極的平和主義」が、国を再び危うくすることはないのか。目を凝らしていかなければならない。