自民、公明の与党が強硬手段に出た。

 安全保障関連法案の審議は尽くされたとして、参院特別委員会での質疑を打ち切り、成立へと突き進む構えだ。

 しかし、審議が尽くされたとは到底言えない。衆参両院の審議時間は約200時間に及んでいるが、なぜこの法案が必要なのか、安倍晋三首相ら政府は明確に説明できていないからだ。

 憲法違反だとの疑いも、ますます強くなっている。これに対する政府の反論は全く説得力がない。もはや破綻していると言っていいだろう。

 国会周辺には連日、法案に反対する人たちが詰め掛け、日本の先行きへの不安を訴えている。そのうねりは徳島など全国に広がっている。

 このまま法案を成立させれば、国会の権威は失墜しよう。憲政史上に汚点を残す採決の強行は認められない。

 崩れた必要性の論拠

 法案の眼目は、集団的自衛権の行使を解禁することだ。政府は具体例を示して、必要性を主張してきた。

 その一つが、中東・ホルムズ海峡での機雷掃海である。ところが、核問題をめぐるイランと欧米などとの協議が最終合意に達し、イランが機雷封鎖する恐れはほとんどなくなった。

 このためだろう。首相は先日の参院審議で「現実の問題として、発生することを具体的に想定しているものではない」と発言を後退させた。

 将来の発生に備えて自衛隊派遣を可能にすべきだとも、首相は述べたが、その論理を進めれば、どこにでも派遣できるようにならないか。

 邦人輸送中の米艦防護では、中谷元・防衛相が「邦人が乗っているか乗っていないかは絶対的なものではない」と述べた。首相が強調する「日本人の命を守るため」との理由は揺らいでいる。

 首相は、安全保障環境が激変したことも、集団的自衛権行使の論拠としている。

 確かに北朝鮮の核・ミサイル開発は脅威だが、危機感をあおる「瀬戸際戦術」は今に始まったことではない。何より、現在の北朝鮮に、国の存亡を懸けてまで日本や米国を攻撃する理由があるのか。

 海洋進出を図る中国への警戒も怠れない。だが万一、沖縄県・尖閣諸島で紛争が起きたとしても、それは個別的自衛権で対処すべき問題だ。

 日本にとって中国は最大の貿易相手国であり、最も重要な隣国である。軍事的な緊張を高めるのではなく、関係修復に努め、「戦略的互恵関係」を発展させることこそが政府に課された役割だろう。

 憲法違反の疑い強く

 安倍首相は「法の支配」という言葉を好んで使う。それは、何者も法に縛られるという近代国家の政治原理だ。専横的な国家権力から国民を守るため、憲法が権力者を縛ることは「立憲主義」という。

 おとといの中央公聴会で、小林節・慶応大名誉教授が行った「(憲法を)無視するのは独裁政治の始まりだ」との発言は、法の支配と立憲主義がないがしろにされた歴史を踏まえた警告と受け止めるべきである。

 安保法案は違憲だと、憲法学者や元裁判官、内閣法制局元長官ら、多くの専門家が指摘している。

 合憲と主張する政府のよりどころは、1959年の砂川事件の最高裁判決だ。しかし、これは集団的自衛権を意識して書かれた判決ではない。山口繁・元最高裁長官が「論理的な矛盾があり、ナンセンスだ」と断じたように、合憲性の論拠も崩壊したといえよう。

 それでも、首相の信念は揺るぎないようだ。国民の反発を認めながら「(法案が)成立した暁には間違いなく理解が広がっていく」との自信も示している。

 衆参の審議でも、必要性や合憲性について納得させられなかったのに、どうして理解が広がるなどといえるのか。理解に苦しむばかりだ。

 きのうの地方公聴会では、採決の強行は民意を無視し、民主主義、国民主権に背くものだとの指摘が出された。その通りである。

 問題が多過ぎる法案は、廃案にするほかあるまい。