韓国の朴槿恵大統領の名誉を毀損したとして、在宅起訴された産経新聞の加藤達也前ソウル支局長に、ソウル中央地裁が無罪を言い渡した。

 言論の自由を保障した韓国憲法に照らせば、判決は当然である。起訴そのものに無理があったと言わざるを得ない。検察は控訴せず、判決を受け入れるべきだ。

 問題とされたのは、旅客船セウォル号が沈没した昨年4月16日に、朴氏が姿を見せなかった「空白の7時間」についての記事である。特定の男性と会っていたとのうわさを、韓国紙を引用して電子版に掲載した。

 これに対し、政府高官が刑事責任を問う考えを表明し、市民団体の告発を受けて検察が捜査、起訴した。

 加藤氏には、被害者が望まないと表明すれば処罰できない規定が適用されていた。にもかかわらず、朴氏が沈黙を守ったのは、処罰を望んだからだと考えられる。検察は、その意をくんで刑事訴追に踏み切ったといえよう。

 朴政権は批判を刑事処罰で封じることが少なくない。朴氏の親戚の変死事件で、捜査の不審点を指摘した雑誌記者も一時拘束された。

 権力者が気に入らない記事を書いた記者に刑事罰を下そうとすることは、報道の自由の規制につながり、民主主義の根幹を揺るがすものだ。朴政権や検察は厳しく反省し、そうした振る舞いを改めなければならない。

 一方、判決は記事について「誹謗の目的があったと判断するのは難しい」とし、「言論の自由保護の領域内だ」と結論付けた。

 しかし、無罪判決が言論の自由の観点から導かれたのかどうかは、疑念が残る。

 韓国政府は、裁判所に「日本側が善処を要請している。考慮する必要がある」との文書を提出する異例の措置を取った。日韓関係への配慮や、報道の自由を制限しているとの国際社会からの批判を受け、事態収拾へ動いたのではないか。

 裁判長は公判冒頭に文書を読み上げたものの、判決そのものには外交に配慮したと受け取られる内容は盛り込まれておらず、文書の影響は不明だ。だが、司法への介入を許したととられかねない行為には、強い違和感を覚える。

 判決の指摘は、加藤氏の取材姿勢にも及んだ。

 大統領に絡むうわさは虚偽であると、加藤氏は一定程度認識していたとした。十分な確認取材を行わなかったとの指摘は、真摯(しんし)に受け止めるべきだろう。

 無罪判決により、日韓関係の懸案の一つが取り除かれたのは間違いない。ただ、韓国政府は判決を日本側への「貸し」として、残る懸案の解決を優位に進めようと考えてはならない。

 慰安婦問題などの解決をめぐっては、日韓が信頼関係をしっかりと構築し、妥協点を探る機運の醸成に力を注ぐべきである。