天皇陛下の退位が2019年4月30日と決まった。皇太子さまの即位と改元は、翌5月1日となった。平成が終わる日まで、あと1年5カ月、514日である。

 決して長い準備期間ではない。安倍晋三首相が語るように、天皇存命中の代替わりは「憲政史上初めての事柄」。遺漏なく、事を運ばなければならない。

 主管する官邸、宮内庁はまず、これまでの意思疎通を欠いた関係を改めるべきだ。連携を密に、国家的事業を成功に導いてほしい。

 退位の日取りを巡っては、年を区切りにした18年末とするのが官邸の考えだった。宮内庁側が「年末年始は重要な儀式が続く」と難色を示し、年度を区切りにした19年3月末が有力となった。

 年明けの昭和天皇式年祭を執り行いたいという陛下のお気持ちがあったとも言われている。

 安倍首相はさらに1カ月遅らせ、4月末の案を打ち出した。この月には、統一地方選が予定される。選挙戦の終わった「静かな環境」の中、こぞって皇室の代替わりを祝福したいとの考えである。

 この案が急浮上したことに唐突感はあったものの、日程自体に異論はない。退位特例法の趣旨に照らしても、首相が主導して決めることに不都合はない。

 気掛かりなのは、官邸と宮内庁の間の不協和音である。

 昨年7月、両者の調整が進まないまま、陛下の退位の意向が表面化した。報道先行の事態ではあるが、官邸にしてみれば「寝耳に水」、想定外のパニックとなった。

 宮内庁への不信感から、トップの長官、宮家を統括する宮務主管を交代させたが、不信の構図は続いた。

 二転三転したように映る退位日程についても、両者のぎくしゃくした関係がにじむ。宮内庁にとり4月末退位案は「寝耳に水」だったようだ。

 そもそも官邸と宮内庁は、どんな力関係なのか。他の省庁と何が違うのか。

 役所の位置づけとしては、内閣府の一外局にすぎない。政府の一員として、内閣の指示に従うのが、官僚としての筋だ。

 しかし、宮内庁の幹部には「天皇を支え、お守りする」という、もう一つの筋がある。これに基づいて政府中枢と対立したことは、民主党政権時代もあった。

 長官、侍従長などの最高幹部は、出身省庁で要職を昇り詰め、いったん退いて再登用された高齢の官僚ばかりだ。

 強い使命感から、時の政権への忖度(そんたく)より皇室の将来を考える。陛下の訪れる先々に同行し、陛下の真摯(しんし)な姿に打たれる人も多い。

 代替わりの事業は、官邸の主導によって進めるべきである。しかし、陛下や皇太子さまの考え抜きに安易に進められないのもまた事実だ。

 皇室を支える宮内庁の役割と使命感を、十二分に生かすべきだろう。