平成と新時代をつなぐ年が明けた。

 天皇陛下の退位日は来年の4月30日。平成は1年4カ月後に幕を閉じる。

 私たちは平成をどう歩いてきたのだろう。それを検証しつつ、次の時代に何を発信していくのか、しっかりと考えるべき時である。

 平成が抱えたのは、右肩上がりの時代には隠れていた問題だ。バブルの崩壊やIT化の急激な進行、2度の大震災などを経て噴出した。

 効率優先で、行き過ぎた市場競争は格差を拡大させた。人口減少も進んだ。東京一極集中の是正を目指して、地方創生の旗が掲げられてから3年余りになるが、見るべき成果は乏しい。

 地方へと、人の流れは変えられるのか。地方をないがしろにすれば、混迷や衰退から抜け出すのは難しいだろう。政治には重い責任がある。

 明石海峡大橋の開通から4月で20年を迎える。

 1998年の本紙年頭社説は「徳島開国の歴史を築く」という見出しを掲げ、「私たちがかつて経験したことのない大交流、大競争の時代を迎えること。言い換えれば、異文化の流入によって変革の波が押し寄せる歴史的な大転換期である―」と書いた。

 その大交流の一端は、通行台数から見て取れる。開通から19年余りが過ぎた昨年8月に2億台を突破した。

 2014年に全国共通料金制度が導入され、値下げ効果などで通行量は増えた。明石大橋が産業、観光を支えているのは言うまでもない。

 ■問われる観光の施策

 しかし、名実ともに四国の玄関口となった一方で、京阪神への人の流れを加速させたのも確かだ。徳島市の中心市街地の空洞化などにも拍車を掛けた。

 本州と直結し利便性が格段に増したことで、関西圏からの観光客の多くが日帰りしたり、泊まらずに通過したりする構造的な問題も生まれた。

 徳島県内のホテルや旅館での宿泊者数は、低迷したままである。観光庁の宿泊旅行統計調査(主に従業員10人以上の施設が対象)で、延べ宿泊者数が10年以降、全国最下位でなかったのは14年だけだ。

 新たな戦略が問われているのは間違いない。そこに次代の観光施策を提示していくことが重要ではないか。

 一つのヒントとなるのが米大手旅行雑誌「トラベル+レジャー」が選んだ「2018年に訪れるべき50の旅行地」に、三好市の「祖谷渓」が日本で唯一入ったことだ。

 昨年10月にあった「ラフティング世界選手権2017」が、旅行先として注目されるきっかけになったという。国の重要有形民俗文化財「祖谷のかずら橋」でも知られる。

 従来の形にとらわれない、非日常や多様な楽しみを見いだす、そんな観光にも力を入れていきたい。

 明石大橋の開通から10年、20年と年を追うごとに、本県を取り巻く環境は厳しさを増している。これまでのように、成長を前提にした将来像は描きにくくなっている。

 真の「豊かさ」とは何か。それを探り、新たな価値を発見していくことが大切である。

 ■一過性に終わっては
 
 今年は、「第九」のアジア初演から100年という歴史的な年でもある。

 ベートーベンの第九交響曲が第1次世界大戦中の1918年6月1日、鳴門市にあった板東俘虜(ふりょ)収容所のドイツ兵捕虜によって演奏されたのを広く発信する好機である。

 この史実を、世界平和と人類愛を未来に伝える文化遺産と位置づける鳴門市は6月1日を「第九の日」と定め、82年から毎年、市民らの参加による演奏会を開いてきた。

 経済優先からの脱却や東京一極集中の是正が求められる今だからこそ、地方の持つ歴史的、文化的な財産に改めて目を向け、次の世代に引き継いでいかなければならない。

 映画「バルトの楽園(がくえん)」の主人公となった福島県会津若松市出身の松江豊寿(とよひさ)所長の寛大で人道的な管理運営のもと、捕虜による多彩な活動が花開いた。

 戦争の最中に国境を越えて結ばれた絆や、捕虜が残した財産を生かして、鳴門市と姉妹都市のドイツ・リューネブルク市との交流も進められている。

 第九には、人を励ます力や人をつなぐ力がある。世界中の人々から長く愛されているゆえんだろう。

 世界では、今なおテロや紛争が絶えない。自国の利益を追求する偏狭なナショナリズムが台頭し、統合から分断へと向かっているかのようだ。

 平和が脅かされる時代にあって、第九の輝きは一層増しているといえよう。

 今や全国に知られるようになった鳴門市の第九と、それにまつわる史実は、県民共有の宝である。初演から100年の節目をどうとらえ、何を訴えていくのか。

 当然ながら、100年を記念するだけの一過性のイベントに終わらせてはなるまい。

 鳴門市と県、関係者は足並みをそろえて、世界にアピールし、歴史にこの年を刻んでいく責務がある。私たちの取り組みが、次代を担う人たちから問われることを忘れてはならない。