彼らが銃口を向けたのはフランスを代表する風刺画家らだった。「非礼であるということにおいて限界がなかった。何も恐れるものがなく、時としてブレーキが必要なほどだった」。挑発的な作品は常に物議を醸していたという

 仏週刊紙銃撃犯の心情に少しは迫れるかと、明治の世相や風俗を題材にした仏人画家ビゴーの風刺漫画を一つ二つ思い出してみる。例えば、鹿鳴館時代に描かれた1枚。姿見の前に着飾った男女が立つ。鏡に映っているのは人でなく2匹の猿だ

 一日も早く列強に追い付こうと懸命に背伸びする日本。その姿を容赦なく切り取った作品には違いないが、ビゴーの読者だった欧米人と同様に笑えるか。預言者ムハンマドの風刺画を見た彼らの憤りは、それ以上だったろう

 と、仮定してもである。銃による解決はあり得ない。それが現代、少なくとも自由と民主主義を信奉するわれらの常識だ。表現の自由はその根幹をなす。高尚な論説だけではない、漫才のネタに至るまで

 理屈を説いても、一向に問題の本質に近づけないのがもどかしい。格差広がる世界で「彼ら」は増え続けているのである。宗教の仮面をかぶって

 映画「独裁者」でチャプリンは言う。恐怖が世界を覆っても「絶望してはいけない」と。川は深くとも、浅瀬を探す努力を続けていくほかあるまい。