33歳で夭折(ようせつ)した作家中島敦は、漢籍の深い教養に裏打ちされた作品で知られる。亡くなる前年の1941(昭和16)年、日本の委任統治領だったパラオに、南洋庁国語教科書編集書記として赴任した
 
 西太平洋の楽園から小学生の息子へ、愛情あふれる手紙やはがきを頻繁に送っている。<南洋の海の水はとてもきれいで、ずっとそこの方まで、すきとおって見えるんだよ。さかながなん百ぴきもおよいでいるのが、すっかり見えて、ほんとうにきれいだよ>「中島敦全集2」(ちくま文庫)
 
 こののどかな島々が砲火に包まれたのは44年のことだ。激戦となったペリリュー島では、約1万人の日本軍守備隊が玉砕した。生き延びられたのは、わずかだった
 
 戦後70年。天皇、皇后両陛下は来月、パラオを初めて訪問される。「生涯をかけて果たすべき務め」(元側近)として重ねてきた慰霊の旅の一環である
 
 「戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」。新年の感想をこうつづられた陛下の思いをしっかり心に留めておきたい
 
 中島は短編「真昼」に記す。<時間という言葉が此(こ)の島の語彙(ごい)の中にあるのだろうか?>。だとすれば、理不尽な戦いで楽園に果てた人々も叫び続けていよう。「あの戦争を時のかなたに押しやってはいけない」と。