目を閉じて想像してみる。サンゴ礁と青い海。そこであった激戦を。殺到する上陸用舟艇や水陸両用戦車に、兵士は絶望的な気分になっただろう。あと何日持つか、自分もここで死ぬのか。松茂町より狭いペリリュー島に逃げ場はない

 約1万人いた日本軍守備隊はほぼ全滅した。奇跡的に生き残った土田喜代一さんは涙ぐむ。隣にいた1等兵が忘れられない、と。上官が米戦車撃破の決死隊を募ったとき、身代わりになるかのように手を挙げた。「死ぬときは潔く死ねと両親から言われました」。そう言い残し、彼は壕を出た

 パラオ全体で、日本兵約1万6千人が亡くなった。「天皇陛下万歳と言って死んだ戦友がいる。みんな日本を信じて死んでいった」。約1200人が犠牲になったアンガウル島玉砕戦に従軍した元兵士はむせび泣く

 戦後の節目ごとに続けられてきた「慰霊の旅」。「悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」。負の部分を含めて昭和を引き継がれた天皇陛下の信念であり、宿命でもあろう。敵も味方も、兵士も民間人も、多くの犠牲の上に築かれた平和国家の道を誤ってはならない、とあらためて思う

 両陛下の訪問に「戦友が喜んでいる」と土田さん。間違いあるまい。ペリリューだけで約2600人分が残る遺骨収集も急がねば。