歴史は100年。なのに今回が97回目。全国高校野球選手権大会の数字の謎、と言うほどのこともない。なぜ抜けているか、大方の人は想像がつくだろう。あの夏の日を考えることの多いこの季節
 
 プレーボールは1915年。「高校野球 熱闘の100年」(森岡浩著、角川新書)によると、当時盛んだった近県連合大会といわれる各地の旧制中学野球大会のうち、最も有名だった京都の三高主催大会が母体となった
 
 母校の実力は日本一と信じる京都二中OBの京都帝大生・高山義三(後に京都市長)らが、それを証明する全国大会を開きたいと思い立ったのが発端。高山の見立て通り、第1回の優勝旗は京都二中がさらった。現在の鳥羽高校である
 
 母校愛から始まった大会はすぐに人気を得た。増える観客を収容するため、東洋一の球場・甲子園が完成。初試合は24年、初球は大暴投だった
 
 第4回は米騒動で中止に。41年の第27回も軍の意向で取りやめになった。いずれも回数は残った。この年の12月、日本は対米戦争に踏み切る。42~45年は中断し、復活したのは戦後の46年、第28回大会。つまりは101-4=97
 
 空白期、スタンドを沸かせた幾多の選手が戦地に向かった。戻ってこなかった人も多い。そんな人々の思いも受け継いで。鳴門高校は敗れたが、甲子園の夏はまだ続く。