立ち並ぶ蔵、大きな長屋門、重厚な主屋…こんな立派な藍屋敷が残っていると知らなかった人もいるだろう。上板町佐藤塚の「戸田家住宅」が、国の重要文化財(重文)に指定される
 
 県内の建造物の重文はこれまでに17件あり、近世以前の寺社や住宅が中心。阿波藍関連では石井町藍畑の「田中家住宅」に次いで2件目だ
 
 二つの藍屋敷の主屋を比べると興味深い。戸田家は明治時代に建てられ、2階建ての瓦ぶき。一方、江戸末期建設の田中家は、かやぶき屋根で寄せ棟造り。年月を経て風格が増していることが共通点で、まるで何でも知っている長老のようだ
 
 阿波藍は江戸時代から明治にかけて、徳島の主要産業だった。生産量は全国トップで品質も良く、他県産よりもはるかに高い値で取引された。大きな利益を上げた「阿波の藍商人」は金持ちの代名詞になった。経済的に潤った徳島は発展し、明治半ばの人口は全国で10番目の大都市に数えられた
 
 ところが、その後ドイツで化学染料が開発されて阿波藍は衰退に向かう。これに合わせるかのように徳島市も順位を下げていった
 
 阿波藍の隆盛期から、二つの大戦、高度経済成長、そして少子高齢化社会へ。時代が移り変わるのを見詰めてきた二つの藍屋敷に問い掛けてみたい。「徳島は、日本は良い方向へ向かっていますか」と。