伝説の、不世出の投手といえば、沢村栄治が思い浮かぶ。1934年11月20日の日米野球第9戦は、その伝説の一つだろう。左足を真っすぐ顔の高さまで上げる独特の投球フォームから、切れのある速球、鋭く落ちるカーブを投げ込んだという

 ホームランバッターのベーブ・ルース、三冠王のルー・ゲーリッグら並みいる強打者を苦しめた。巨人の創立に加わり、数々の記録をつくり、ファンを引き付けた

 本紙夕刊「あすの歴史」で沢村の名を見る。例えば36年9月25日。タイガース戦で無安打無得点試合を達成した。職業人野球(プロ野球)が始まったシーズンでの快挙とある。だが、44年12月2日に刻まれているのは。不世出の名投手が3度目の応召で南方への途中、台湾沖で輸送船が撃沈され、戦死

 27歳の生涯だった。最後の戦地への出発を控え、京都・伏見の連隊にいた沢村から妻の元に届いた手紙の内容が、本紙朝刊99年7月の連載「20世紀 日本人の自画像」にある。<「私物を取りに来てくれ」という連絡に加えてこんなくだりがあった。「いい父親になりたい」>

 出征を前に約2カ月間、親子3人水入らずの生活があったという。<人間沢村の肉声として伝わってくる>

 きょうは沢村の生誕100年。平和な世でなければ野球はできないし、伝説も不世出も生まれない。