鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館は、旧日本軍の出撃基地の跡に立つ。毎年、大型連休中の5月3日に慰霊祭が開かれる。今年、海陽町の井花昭文さん(73)が遺族を代表して弔辞を述べた
 
 兄の敏男少尉は1945年4月16日、爆弾を抱き、12機編隊で離陸、沖縄海上の米駆逐艦に突入した。17歳。陸軍沖縄戦特攻隊の戦没者1036人の中で最も若い。兄の心中を推し量り、亡き人たちへの思いも込めて弔辞とした
 
 慰霊祭には、毎年のように参加している。いつも気持ちが新たになるという。「どんな戦争でも引き換えになるのは若い命です。絶対にしてはいけない」
 
 体験者の高齢化が進み、本当の姿をどれほど次の世代に伝えられるか、危惧している。「死ぬのが当たり前だった時代でも、飛び立つには大変な勇気がいったそうです」。勇ましくないエピソードに生身の心が宿る。そんな話が、いつまで聞けることか
 
 井花家に戦死の知らせが届いたのは田植え時。ちょうど今ごろ。母は、田んぼのあぜにへなへなと座り込み、人目もはばからず、大声で泣いた。生きて戻ると信じていたのである。12歳上の姉が戦後、そう教えてくれた
 
 平和の時は子が親を弔う。しかし戦いとなれば、親が子を葬らなければならなくなる。歴史が始まってこの方、そしてこの先も変わらない事実だ。