角谷昭三さんは、オロナミンCのラベルや、金長まんじゅうのあの狸(たぬき)を手掛けた高名なデザイナーだ。徳島との縁は、海軍飛行予科練習生、予科練時代にさかのぼる。酔うとよくこんな話をしたという

 事件は72年前のきょう、8月2日に起きた。砲台建設に動員され、この日午前、昼食のカレーを積み込んで鳴門を出航、目的地の淡路島阿那賀港まであとわずか、というときである。練習生が乗る小型機帆船「住吉丸」を突然、米軍戦闘機が襲った

 木造船は火を噴き、炎に焼かれる者がいた。鋼鉄板も貫く機銃弾に、血がほとばしり、肉が飛んだ。海峡は赤く染まった。練習生ら109人のうち、82人が死に、角谷さんも大けがを負った

 所属は、すみれの花咲く大劇場に本拠を置いた宝塚航空隊。6月に練習生になったばかりだった。彼らが乗る飛行機など、このころは既にない。先輩は急造の特攻兵器の搭乗員として駆り出された。戦争が長引けば同じ運命をたどっただろう

 事件に詳しい友人に誘われて先日、筆者もゆかりの地を巡った。島田島の慰霊碑と向かい合って立つ阿那賀の観音像の前には82の墓碑がある。刻まれた年齢は15、16、17歳。14歳の子もいた

 「わが子と同じ年頃の多くの才能が、むなしく消えていったと思えば、たまらんね」。少し声を詰まらせて友人が言った。