花が咲くの「咲」にはもともと、「笑う」という意味がある。用例は現存する最古の史書「古事記」にもみられる。<高天原(たかあまのはら)動(とよ)みて八百万(やほよろづ)の神共に咲(わら)ふ>。高天原が震動せんばかりに、八百万の神々がどっと笑った(中村啓信訳)
 
 須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴狼藉(ろうぜき)に耐えかねて、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋にこもってしまう場面である。光を失い、天上も地上も真っ暗闇となり、あらゆる災いが起きた。神々は思案に暮れ、そして-。そうだ、祭りだ
 
 祝詞(のりと)に続いて登場したのは天宇受売命(あめのうずめのみこと)。踊るうちに神懸かり、胸ははだけ、下腹部があらわになっても、それでも舞う。その様子があまりにおかしくて、どっと笑う八百万の神々。不思議に思った天照大御神は、そろり戸口から現れた-
 
 こうして天地に光は戻ったわけだが、この話、何やら共通点があるな、と阿波踊りの時季になれば思い出す。これは誇りにしていい。失われた光を取り戻す。そんな力強さが、私たち阿波の踊りにはある
 
 きょうから、徳島市の阿波踊り。歌は世につれ、という。踊りもまたそうである。正調の美しさの中に、学生らの奔放さの中にさえ、今年の踊りが見いだせるはずだ
 
 喜びを倍にして、悲しみをぬぐい去る。ぞめきの渦の中に身を任せよう。そこにいるのは、ここから始まる私。笑顔の花咲く4日間。さあ戸を開こう。