作家北原亞以子さんの「銀座の職人さん」(文春文庫)に、気遣いとはこういうことか、と教えてくれるくだりがある。著名な江戸指物師の初仕事での経験である

 言いつけ通り、桑の木を用いた6枚組の手鏡を仕上げ、6枚分の賃金をもらったが、それで終わらなかった。親方は、続けてこう言った。「最も気に入った1枚を取っておけ」

 精魂を込めた初仕事の品は、手放すのがつらく、自分の手元に残しておきたくなるものらしい。得意先からの注文は、実は5枚組で、残りの1枚は職人の気持ちを知り抜いた親方の思いやりだった

 ものを作る人のこうした気遣いは、生み出す品にもおのずから表れる。弟子への配慮は、使う人への思いやりにもつながるのだろう

 つるぎ町の伝統工芸、半田漆器の最後の塗師(ぬし)・竹内久雄さんが生前、土地の言葉で現代の世相をこんなふうに批判していた。「なんぞいうたらすぐ捨てる。ものを大事にしない国は、それを見る目も鈍感になって、文化も衰えていくんじゃろう」

 次々と新たな商品が登場し、あっという間に陳腐化していく現代は、愛着を持って長く使ってもらうのが前提の職人の仕事とは対極のところにある。忙しさにかまけ、気遣いや思いやりを忘れてはいないか。人や、ものを大切にしているだろうか。そう問いたかったに違いない。