「心の闇」という言葉は便利だ。理解しがたい事件が起きたら、こう言えばいい。「心の闇は深い。解明はこれからだ」。新聞やテレビでこの表現に出合うと、ごまかされたような気分になる

 オウム真理教が起こした一連の事件ほど「心の闇」が連発された事件はない。「理系エリートたちがなぜ」。23年間にわたった裁判が終結すると、またまた同じ表現に出合った
 
 教団を追及していた坂本堤(つつみ)弁護士が妻子と行方不明になったのは、平成元年11月。平成30年間の歳月をかけて、当時の闇が今も闇のままなら、亡くなった被害者は浮かばれない
 
 悲惨を極めたのは、加害者の親たちも同じだった。大規模捜査が始まる前、山あいの教団施設の前で、「息子を返して」「いるなら出てきて」と叫んだ。捜査が進むにつれ、わが子の関与が疑われ、殺人容疑で逮捕される
 
 被害者から加害者へと立場が一変、容赦なくマイクを突きつけられる。「悪いのは教祖」「洗脳のせいでは」。親心を漏らせば非難にさらされ、押し黙るしかなかった。教祖以外の死刑囚の背後には、親たちの悲劇がある
 
 裁判終結で死刑執行が可能となった。制度がある以上、その日は来る。親たちへの取材を振り返れば、自分の身にも起きるかもしれない身近さを感じてしまう。「闇」として記憶の果てに葬りたくない。