政敵を震え上がらせる厳しさと、常に社会的弱者の側に立つやさしさと。実体験に根ざした言葉のいちいちに重みがあった。官房長官や自民党幹事長を歴任し、激しい闘争姿勢から「政界の狙撃手」とも呼ばれた政治家、野中広務さんが逝った
 
 典型的な軍国少年だった。それを変えたのは四国での戦争体験である。1945年、終戦の年に赤紙が届き、高知の陸軍部隊に配属された。本土「決戦」とは掛け声ばかりで、支給された剣は竹みつだった
 
 「野中広務 差別と権力」(魚住昭著、講談社)によると、近くの海軍航空隊基地から、隊員がよく遊びにきていたという。野中さんの記憶に刻まれたのは、飛び立つ前夜、17、18歳の特攻隊員の嘆きともあきらめともつかないつぶやきだ。「女性と一度も付き合ったことがない」
 
 使われたのは、徳島の航空隊でも特攻機に転用された偵察用練習機「白菊」である。あまりの速度の遅さに、新兵器か、と米軍を慌てさせた不満足な機体で、軍は若者を死地に赴かせた。それが戦争だった
 
 「ポツダム宣言すら読んだことがない首相が、この国をどういう国にするのだろうか。死んでも死にきれない」と、安倍晋三首相を批判したことがある。戦争を知らない世代が国会を占める今。憲法9条改正も叫ばれる今
 
 気が気でない旅立ちに違いない。