稲田家の墓の前で両手を合わせる益習の集いの会員ら=美馬市脇町の貞真寺

 徳島藩の筆頭家老で淡路島を治めた稲田家の学問所「益習館」の保存継承などに取り組む兵庫県洲本市の郷土史グループ「益習の集い」の会員が5日、稲田家ゆかりの美馬市脇町を訪れ、市民らでつくる「脇町稲田会」の会員と交流した。両団体は、2014年に益習の集いが美馬市脇町で資料展を開いたのをきっかけに親交を深めており、会員同士の交流会は初めて。

 益習の集いの会員ら25人が、稲田家の菩提寺である同市脇町の貞真寺を訪問。脇町稲田会の会員の説明を受けながら、市指定有形文化財の山門を見学した後、稲田家の墓の前で両手を合わせた。

 うだつの町並みの物産施設・藍蔵では、稲田家の歴史や藩政時代に現在の徳島市幸町にあった稲田家屋敷などについて学んだ。徳島市かちどき橋3の国登録有形文化財・原田家住宅にも足を運び、樹齢約250年の蜂須賀桜を鑑賞した。

 益習の集いが研修旅行として美馬市訪問を企画し、脇町稲田会に協力を求めた。

 益習の集いの三宅玉峰会長(64)は「稲田家のルーツを感じることができた」。脇町稲田会の脇吉人会長(87)は「交流を続け、稲田家の歴史を多くの人に知ってもらえるようにしたい」と話した。

 稲田家は1585年に脇城代に就き、淡路島を治めてからも旧美馬郡を知行地とした。1870年、稲田家の家臣らによる分藩騒動に端を発し、徳島藩士が稲田家を襲撃して17人が亡くなった庚午事変(稲田騒動)が起きた。洲本市にあった益習館も焼き打ちに遭った。