チャットモンチーの橋本絵莉子さん(右)と福岡晃子さん(事務所提供)

徳島市の吉野川河川敷から見た眉山。徳島にいた頃には意識しなかった風景(橋本さん撮影)

 7月での“完結”を発表している徳島発ロックバンド・チャットモンチー。古里徳島への思いや、ラストライブとなる主催イベント「こなそんフェス」(アスティとくしまで7月21、22日開催)への意気込みなどを月1回、橋本絵莉子さんと福岡晃子さんが交互につづります。初回は橋本さん。

【1】よまなそんそん新聞


 徳島生まれ徳島育ちです。

 というと、徳島のことめっちゃ知ってそうと思われがちだけど、実はぜんぜん知らない。

 鮮明な記憶は、ここが徳島か~みたいな気持ちゼロで過ごした学生時代でストップしています。自転車でまわれる距離が私の射程距離。親や友達と過ごす中で向かう、スーパーや公園やその他もろもろ。徳島という街に対して、何の不満も不安もなく、ぬくぬくと育ちました。

 20代という、花でいうと向かい風でも追い風でも咲き誇っている時期は、ほぼ東京で過ごしました。徳島でぬくぬくのほほんと育った田舎娘が、眠らなくても別に…な街に越してきた最初のショックは、ご想像におまかせします。今思い出しても、よく暮らせたなと思うよ。

 今思うと、メンバー3人で挑んだ上京だったから、大丈夫だったのだということ。ほぼ毎日顔を合わせる。一緒に道に迷える。一人暮らしのヤバさを笑いあえる。実家から届いたものを分けあえる。標準語じゃなくても伝わる。

 女子の20代って、心中わりとややこしい。複雑。ただでさえ複雑なのに、東京、バンドマン、という、複雑な街、特殊な職業。だけど、音楽を作るという行為があったおかげで、身の中に巻き起こる物事を少しは客観視できたのかもしれません。

 徳島阿波おどり空港に降り立つたびに、ありがちだけど、空が広いなあと思います。眉山目立ってるなあと思います。徳島に生まれ徳島で育っている頃には微塵も意識しなかった風景。

 私にとって徳島は、プラスマイナスゼロの、ハイもロウもない、ニュートラルな、空気みたいな場所。ただ吸って吐いての呼吸ができる場所。それがどんなに大切な場所かは、時間がたたないとわからなかったなと思うし、これからもっとわかっていくのかなと思います。(橋本絵莉子)