「確認できました。イラクに入りました」。電話の向こう、記者の声が弾む。2004年1月19日、陸上自衛隊がイラクに足を踏み入れた。歴史的ニュースの情報源は、オランダ軍だった

 防衛庁(当時)や自衛隊は「隊員の安全確保」を盾に、一切の広報を拒否していた。部隊はいつクウェートからイラク側に入るのか。確認したくても、検問で国境に近づけない

 機関銃で武装した隊員の車列を追ううち、記者は隊を警護するオランダ軍に目を付けた。将校の携帯電話の番号を聞き出し「後で電話を入れます」。懇願して見送った。「ウィー・アー・イン・イラク・ナウ」(われわれは今、イラクにいる)。後刻、電話が通じた

 政府が隊員の安全に関する情報提供を拒む中、米軍やオランダ軍からの情報に助けられた。彼らも日本の秘密主義を不審がっていた

 取材を拒まれても、多くの記者がイラク入りした。一体、自衛隊に何が起きていたのか。当時、知りたくてもかなわなかった派遣の実像が、陸自の日報には記されているはずだ

 派遣の是非を巡る事前の論点は「戦闘地域ではないのか」だった。その疑問は未解明だ。日報を「不存在」としたのは、本当にずさんな管理ゆえなのか。それとも、真実を知らせたくなかったのか。国民への許されない背信行為であり、歴史への冒涜(ぼうとく)だ。