亡き父の書斎で「板東の物語を広めていきたい」と話す井上さん=鳴門市大麻町

友情の物語3世が継承


 「バンドー人」。第1次大戦時、板東俘虜収容所で暮らした元ドイツ兵捕虜は、地域への愛着を込めて自分たちをそう称した。このバンドー人をドイツ各地に訪ねて回り、親交を深めた人がいた。

 収容所跡近くの鳴門市大麻町板東で生まれ育ち、教員の傍ら作家活動にも取り組んだ林啓介さん。父豊さんが収容所の郵便係だった縁から、2015年4月に81歳で他界するまで板東の歴史発掘をライフワークとした。

 「どんなことでも、こうと思えば信念を持って最後まで貫くこと」。林さんの長女で板野支援学校の教員を務める井上瑞子さん(51)は「それが父の口癖でした」と話す。

 その言葉を体現するかのように、林さんは板東の調査に打ち込んだ。県の海外派遣教員として欧州で3カ月間滞在した1973年を皮切りに、渡独の機会を利用しては元捕虜の自宅を訪ね歩いた。

 板東を懐かしむ元捕虜の集まり「バンドー会」の中心だったクルト・マイスナーさん、エドアルド・ライポルトさん、パウル・クライさんらと交流し、貴重な証言を今に残している。

 後日、林さんは徳島新聞への寄稿文で、板東との友情を大切にする元捕虜の姿に触れ、「これほど徳島県民として誇りを感じたことはない」と記した。

 元捕虜ヘルマン・ハーケさんの長男ブルーノ・ハーケさん(86)とは文通をきっかけに、同じ「板東2世」として生涯の友となった。ハーケさんは林さん宅を訪れたこともあり、井上さんは「驚くほど背の高い人がうちに来たのを覚えています」と笑みをこぼす。

 元捕虜やその子孫との交友の記録は、林さんの書斎でそのまま眠っている。井上さんは先日、その書斎から「青春のしっぽ」と題した未発表の父の原稿を見つけた。2006年、72歳の時に書いた自伝的エッセーだった。

 板東収容所でアジア初演された「第九」に例えたのだろう。還暦以降の人生を「第4楽章」とし、自由な時間を活用して若き日の残り火の「青春のしっぽ」を追い掛ける大切さを訴えていた。

 事実、還暦から他界するまで、ポルトガルの文人モラエスや社会運動家の賀川豊彦ら郷土ゆかりの偉人に関する研究や執筆に力を注いだ。

 最晩年は肺がんを患って苦しんだ。しかし、家族以外には病状について多くを語らなかったという。

 徳島大病院に入院中のある日、井上さんが様子を見に行ったときのことだった。

 林さんはやせ細った体をベッドから起こし、「まだまだ書きたいなあ。板東のノンフィクションを書かなきゃならんなあ」と小さく笑った。

 命の火が消えるときまで、情熱を燃やし続けた人生だった。

 林さんが残した多くの作品の中に「ハンスの手紙」がある。板東を舞台に捕虜と住民との交流を描き、教科書大手の道徳副読本にも採用された。

 井上さんは父の他界後の15年9月、当時勤務していた美馬市の岩倉中で「ハンスの手紙」を演劇で上演した。その台本は今も手元にある。

 「いつの日か、この劇を再演してみたい。板東の物語を私なりに広めていきたいですね」。井上さんは「板東3世」として、父の思いを受け継いでいく。