「よしの旅館」を継いだ高木和子さん(中)と長女由美子さん(右)、長男健一さん(左)=兵庫県尼崎市

高木家の墓について説明する小阪さん=香川県丸亀市

奇跡の実現に不可欠

 兵庫県尼崎市にある阪神電車の武庫川駅から徒歩数分。住宅地の一角に、「よしの旅館」の看板が掲げられている。

 板東俘虜収容所の高木繁副官の妻理久さん(1975年、78歳で死去)が、半世紀以上前に創業した旅館だ。

 「名前は吉野川にちなんだそうです。義母は徳島市の足袋屋の生まれでしたから」

 そう教えてくれたのは高木和子さん(87)。高木の次男弘司さん(2004年、79歳で死去)の妻で、理久さんから旅館を継いだ。現在は長女の由美子さん(53)が跡継ぎとなっている。

 理久さんは、旧満州(現中国東北部)で高木がソ連軍に連行された後、しばらくたって日本に引き揚げることができた。海軍に入隊して日本で終戦を迎えた弘司さんと尼崎で暮らし、そこに和子さんが嫁いで来た。

 繁さんは家では無口で亭主関白だったそうですが、義母は本当にハイカラな人でした。旅館を始める前はダンスホールを経営していたんですよ」

 高木は捕虜からバイオリンを教わったとされ、理久さんも弾くことができた。和子さんの長男健一さん(61)と次男修さん(59)も子ども時代、祖母に勧められてバイオリンを習い始めたという。

 和子さんは「ハワイで暮らす次男は、今も地域の老人施設で訪問演奏しているようです」とほほ笑む。

 香川県丸亀市にある菩提寺に高木家の墓があると聞き、高木が生まれた丸亀にも足を運んだ。

 「高木家の祖先は1658年、兵庫県の播州からやって来ました。墓がある法音寺は丸亀の名刹とされています」。チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会の小阪清行さん(69)=丸亀市=が、高木の菩提寺や生家跡などを案内してくれた。

 小阪さんは、高木の三男利男さん(2009年、81歳で死去)の長男、康男さん(58)=横浜市=と親交がある。板東を題材にした映画「バルトの楽園」(06年公開)を機に祖父の足跡を調べ始めた康男さんが、小阪さんに問い合わせたことがきっかけだった。今年3月にも、康男さんが会社のリフレッシュ休暇を利用して丸亀に小阪さんを訪ねた。

 小阪さんは生前の利男さんに電話し、高木の本籍地などを教えてもらったこともある。「既に高齢でしたが、記憶力は抜群だった。康男さんによると、頭の切れや性格は利男さんが一番繁さんに似ていたそうです」

 その利男さんは大手重工業メーカーに勤め、大鳴門橋の建設にも携わった。晩年はベートーベンを聴きながら、大型事業の設計図を眺めるのが好きだった。聴いていたのは板東でアジア初演された「第九」ではなく「運命」だったが、音楽好きの高木の影響を受けたのかもしれない。

 来年の第九アジア初演100年を前に、板東で所長だった松江豊寿は、鳴門市で銅像建立が計画されるなど再評価の機運が高まる。

 一方、副官の高木はどうか。小阪さんは「バイオリンをたしなみ、ドイツ兵捕虜と身近だった彼は、間違いなく第九初演の場にいたはず。しかし、丸亀でもほとんど知られていない」と残念がる。

 高木の貢献がなければ、「奇跡の収容所」は成り立たなかった。その功績はもっと評価されていい。