Jリーグの開幕節に出場し、横浜フリューゲルスなどで活躍した桂秀樹さん=岡山市の環太平洋大学

 1993年5月15日に開幕したサッカー・Jリーグは15日で25周年を迎えた。節目の日を前に、J1湘南ベルマーレのFW表原玄太(22)=阿南市出身=が9日のルヴァン杯で今季初ゴールを決め、J2徳島ヴォルティスのMF小西雄大(20)=阿波市出身=が12日の京都戦で初ゴールを記録するなど徳島県出身Jリーガーが存在感を示した。そんな県人Jリーガーの草分けとして25年前の開幕節のピッチに立ったのが、横浜フリューゲルス(当時)の桂秀樹さん(48)=徳島市出身、環太平洋大学サッカー部監督=だ。身長160センチで当時、「最も小柄なJリーガー」と言われ、攻撃的MFとして豊富な運動量と俊敏な動きでピッチを自在に駆け回り、柔らかなタッチのドリブルや正確なパスを武器に活躍した。創成期のJリーグとともに歩んだ桂さんが、元日本代表の前園真聖さんや、徳島ヴォルティスのGKコーチ中河昌彦さんら同期入団の選手たちと競いながらプレーした当時の熱気や、今後の抱負を語ってくれた。

 ―1993年5月16日、三ツ沢球技場で迎えた清水エスパルスとの開幕戦でのスタジアムの雰囲気は。

 チームが宿泊していたホテルからバスで移動して、スタジアムに着いた瞬間から周りも人がいっぱいでした。バスを降りてスタジアムの中に入ったときには、もう満員でしたね。エスパルスのサポーターも多くて、オレンジとブルーで2つに分かれていて、旗を振ったり、ラッパ(チアホーン)の音を響かせたりと、すごいなという感じでしたね。試合が近づくにつれ、三ツ沢球技場の隣に高いマンションみたいなものがあるんですが、入れなかった人が外階段にいて「あんなところからも見てるわ」と、気持ちが高ぶりました。

 ヘリコプターから試合球が落とされて、キックオフのカウントダウンもありました。カウントダウンは「3、2、1」で、キックオフしてしまったんですよ。そうすると、一斉にラッパが鳴って。主審がやり直しのために、笛を吹いてプレーを止めようとしていたんですが、それもかき消されてしまうほどの歓声や音で、選手は何十秒間かプレーを続けていました。キックオフのやり直しは珍しいですよね。選手も早くやりたいと言う気持ちがあったんだと思います。

 ―後半11分、反町康治さん(現・J2松本監督)と交代してピッチに立った。

 試合のメンバー入りをしていたものの、出るかどうかは分からなかったですね。ただ、出たい気持ちが強かったですし、試合を見ながらウオーミングアップしていました。開幕戦で名前を呼ばれたときは、あまり覚えていないのですが、試合に集中して「よし、やってやるぞ」という気持ちだったと思います(1994年1月1日付の徳島新聞では試合を振り返り「途中交代で入ったときは武者震いがした」)。

 ―試合での役割は。

 3-5-2でやっていて、2トップのトップ下みたいな感じですね。プレスの掛け方、守備のやり方もある程度決まっていたので、2トップが追えないところを僕が一生懸命走ってプレスに行って。ボールを取れたら、勢いで前に行ってというような役目を担っていました。守備のところと、相手にプレッシャーをかけるところ、前線に飛び出して行くところの運動量と活動性、その辺を買われていたんだと思います。ゲームの中心になるポジションなので、主に助っ人の外国人がやることが多かったのですが、(外国人は)基本はあまり動かなかったじゃないですか。それに守備面で不利になってくるというので、そこを補うというところで、僕が投入されることが多かったと記憶にしています。

 ―加茂周監督の下「ゾーンプレス」を戦術にしていた。攻撃的ポジションで守備をするもの珍しかった。

 がむしゃらでしたね、「やれ」と言われたら何でもやると。小さかったですけど、キープ力はそこそこあったので、ボールを受けたら前線に絡むようなプレーを買ってもらえていたのかなと感じていました。体が小さくて、他に特長みたいなのはないですから、ちょこちょこ動き回ってというようなことしか、プロの世界では通用しないなと思っていました。うまい選手はいっぱいいましたし。

 ―開幕戦で印象に残っているプレーは。

 モネール選手の勝ち越し点につながったプレーですね。ゴール前に走って行ってDFのクリアミスをGKが蹴り損なって、ゴールにつながったのは思い出します。とにかくゲームが激しかった。タッチラインから出るか出ないかでも当たりがすごくて、スライディングタックルに行って「ガツン」と削るような、そういうプレーが頻繁にありました。外国人だけでなく日本人同士でも。すごく激しかったのは記憶にありますね。当時そこまで激しくやっていたイメージはないかもしれませんが、本当に激しかったです。今だったら考えられないようなボールへのアタックの仕方、体ごと当たるというプレーがたくさんありましたね。そういうのがあって、日本のプロサッカーリーグ、Jリーグが急激にレベルアップしていった、そういうのがあるんじゃないかなと思います。

 ―思い出の試合は

 Jリーグの開幕戦なんかはよく雰囲気を覚えています。印象に残っている試合は、満員の国立競技場でのヴェルディ川崎戦(94年)。憧れの国立で、大観衆の中で、PK戦までもつれた試合でした。PKではキッカーを務め、決めることができました。天皇杯はJリーグ初年度、93年の年末の準決勝・サンフレッチェ広島戦。コーナーキックも蹴っていたんですが、そのコーナーキックが得点につながった。モネールの頭か、肩だったんですけど決めて、勝利につながるプレーができた。元日の決勝へ進み、横浜フリューゲルスで初の天皇杯優勝を果たせました。

 桂秀樹(かつら・ひでき) 1970年生まれ。スポーツ少年団の津田黒潮でサッカーをはじめ、津田中、徳島市立高校に進み、全国選手権に2度出場。大阪体育大学を経て、92年に横浜フリューゲルスに入団。川崎フロンターレ、佐川急便東京で2003年までプレーし引退。横浜Fでは天皇杯優勝、川崎ではJ2初代王者に輝いた。サガン鳥栖コーチなどを経て、08年から環太平洋大学サッカー部監督。