100年前の1918年6月1日、鳴門市大麻町にあった板東俘虜収容所でドイツ兵捕虜たちがベートーベン「第九」交響曲全楽章を奏で、歌声を響かせた。日本で最も知られたクラシック音楽の一つ、「第九」。この日の演奏がアジアでの初演だった。

 人類愛、世界融和をうたう第4楽章の合唱「歓喜の歌」が敵国の収容所で演じられた史実を、鳴門とドイツの住民は絆を強めながら語り継いできた。この友好の輪を発展させつつ次代につなぐ。これが今を生きる私たちの役割だ。

 収容所では人道主義に徹した松江豊寿所長(1872~1956年)の運営方針のもと、捕虜たちは音楽や演劇、スポーツなどに活発に打ち込め、生産活動も認められた。音楽指導など、住民と捕虜との交流も生まれた。

 鳴門市では行政と市民が協力し、地域の財産と言っていい、この歴史を大切にしてきた。1972年にはドイツ館を建設、1年交代で使節団を派遣し合うドイツ・リューネブルク市との交流は44年に及ぶ。捕虜の子孫とも交流を深めてきた。82年に始まった演奏会は今年で37回を数え、毎年、全国から人が集う。

 第九の持つ意義がこの史実の価値を高めている。

 「おお友よ」と始まり、「全ての人々は兄弟になる」「抱き合おう、世の人々よ」と続く「歓喜の歌」からは、人類愛のメッセージが読み取れる。89年のベルリンの壁崩壊を祝う記念コンサート、98年の長野冬季五輪など、国内外の節目で演奏されてきた。その多くは、人々の心をつなごうとする場面だった。

 世界的指揮者の佐渡裕さんは2011年3月26日、東日本大震災の被災地を思い、第九のタクトを振った。

 「苦しみや悲しみを背負っているからこそ、人と人とのつながりに、心の底から『フロイデ(歓喜)』と叫ぶことができる」。本紙1面連載「第九永遠なり」の取材に、そう言葉を寄せた。

 歓喜の時も、苦難の時も、第九は人々と共にあった。世界に通じる普遍的な文化遺産と言える。

 しかし、板東の史実を残した日本とドイツは、共にその後、次の大戦へと突き進み、敗戦国となった。

 1世紀たった今も、世界はテロや紛争に脅かされている。板東をはじめ、2度の大戦の教訓はどこに行ってしまったのか。

 鳴門の第九は、まだ磨く余地がある。県教委や鳴門市がドイツ側と連携して取り組むユネスコ「世界の記憶」(世界記憶遺産)への登録も実現してほしいし、合唱指導を含め学校現場での第九に関する教育の充実も、次代に継承するためには欠かせない。

 全ての人は兄弟に―。現実は程遠く、理想にすぎないかもしれない。だが今こそ板東に学びたい。第九初演の地から、世界に何を発信できるのか。自問しつつ、次の100年への一歩を踏み出したい。