7人が死亡、10人が重軽傷を負った東京・秋葉原の無差別殺傷事件から10年が過ぎた。被害者の無念や家族の受けた心の傷が癒やされることはない。

 なぜ起きたのか、なぜ食い止められなかったのか。われわれは問い続け、再発を防がなければならない。

 当時25歳だった犯人は2015年2月、最高裁で死刑が確定した。加藤智大死刑囚が法廷で語った犯行動機は、携帯電話サイトの「掲示板」という、ネット空間でのトラブルだった。

 掲示板の中で自分に成りすまし、嫌がらせをする人々に、事件を起こすことによって心理的な痛みを与え、「改心」させたかったという。

 もちろん、日曜の秋葉原で歩行者天国を楽しんでいた被害者には何の関係も、落ち度もない。ネット空間のトラブルと現実の平和な日常が、なぜ結びつくのか。なぜトラブル相手と対峙しないのか。

 裁判所が「主な動機」と認定しても、被害者やその家族は決して納得できない。

 加藤死刑囚は、獄中で2冊の本を書いている。その中で掲示板について、自分が「帰れる場」「人と一緒の感覚になれる場」であり、「仮想空間ではあっても非現実ではなく、れっきとした現実」と主張している。

 現実社会の孤独やコンプレックスをネット空間でのつながりで癒やし、承認欲求を満たそうとする。そうした傾向は、事件から10年を経て社会で深まっていないだろうか。

 携帯はスマートフォンに代わり、若者を中心にスマホ依存症が急増している。生の言葉による応酬を嫌い、四角い画面の中に没入する子どもたちが増えている。若者たちはスマホ以外の「居場所」を確保できているだろうか。

 昨年秋に神奈川県座間市のアパートで9遺体が発見された事件のように、若者の孤独とネットが結びつく事件は、その後も続いている。

 秋葉原事件は手口が残虐で衝撃的だったために、動機につながる背景として、さまざまな社会問題が、時代の「病巣」として提起された。

 加藤死刑囚の生い立ち、度重なる転職や自殺未遂から、家庭崩壊と虐待、非正規労働と格差社会、携帯・ネットへの依存などが語られた。

 事件が起きた2008年は、サブプライムローンの破綻からリーマンショックと、米国発の不況が日本社会を覆っていた。事件直後、「負け組」として共感する若者もいたが、貧困や格差自体は、直接の要因ではなかった。

 裁判では、「母親の不適切な養育による人格のゆがみ」が、事件の「遠因」と認定された。

 加藤死刑囚は、母親の「操り人形」として「いい子」を演じてきた、と吐露する。叱られる理由は示されず、口答えも許されなかったという。過度な抑圧が人格形成に悪影響を与えたことは、事件の教訓として留意すべきだ。