徳島大空襲の日、7月4日がまた巡ってきた。徳島市が米軍機による爆撃を受け、約千人の命が奪われたあの日から、きょうで73年になる。

 犠牲者の冥福を祈り、戦禍を二度と引き起こさないとの誓いを新たにしたい。

 4日未明、グアムの米軍基地から129機のB29爆撃機が徳島市上空に飛来し、2時間近く焼夷弾の雨を降らせた。市街地の6割が焦土と化し、当時11万人余りいた市民のうち、約7万人が家を失うなどして被災した。

 人の命など顧みず、都市を丸ごと破壊することを狙った無差別の破壊、殺りくである。犠牲になったのは幼い子どもや女性ら普通の市民だったという悲しい歴史を、絶対に忘れてはならない。

 徳島市の眉山山頂にある展望施設に、大空襲直後の市中心部の様子を撮影した写真パネルが設置された。立木写真館(徳島市)2代目の故立木真一さんが山の中腹から撮った、有名なパノラマ作品である。現在の街と見比べることができ、意義深い。

 空襲によって廃虚となった市街地は、地元の人々の長年にわたる努力によって近代的な街並みに生まれ変わった。パネルの前に立てば、眼前に広がる光景を戦争で破壊されることなく、いつまでも守り、発展させたいとの思いが強まる。

 平和を保つためには、戦争の残酷さを認識し、語り継いでいくことが欠かせない。終戦から長い年月がたち、大空襲を体験した人が減っていく中、それは重要な課題となっている。

 徳島市内では、恒例となった反核・憲法フォーラム徳島の「徳島大空襲を語るつどい」が今晩開かれる。21回目になる。戦争を繰り返してはならないという主催者や語り部の熱意には、頭が下がる。

 徳島市は8年前に公募した大空襲の体験談を、市のホームページで公開している。つらい記憶を呼び起こした59編の証言である。いつでも自由に閲覧できる貴重な資料だ。

 一人でも多くの人が経験者から話を聞くなどして当時を知り、考える。その広がりこそが、平和をより確実なものにしていくのではないか。

 体験談に積極的に触れようという姿勢が大事だ。

 県内で発生した空襲は、徳島大空襲だけではない。太平洋戦争末期、大空襲以外に少なくとも17市町65カ所で空襲があり、死者は合わせて309人、負傷者は301人以上いたことが昨年、徳島新聞の取材で判明した。

 かつて身近に起きた悲劇は他にないのか。丹念に掘り起こして後世に伝えたい。

 世界を見渡せば、シリア内戦やアフガン紛争など空爆を伴う争いが後を絶たない。一番の犠牲者は、いつも市井の人である。

 尊い犠牲が無駄になることなど、あってはならない。国際情勢も念頭に置き、強い関心を持って徳島大空襲と向き合うことが大切だ。