第64回(1982年)と第65回(83年)の両大会は、「やまびこ打線」の池田が旋風を起こし、徳島だけでなく全国の高校野球ファンを魅了した。

 第64回大会は、春の選抜大会で活躍した強豪が相次いで地方大会で姿を消したこともあり、本格派右腕畠山準を擁する強力打線の池田が「西の横綱」と位置付けられた。

 畠山は入学時から注目を浴びてきたが、最後の夏にようやく甲子園デビューを果たす。1回戦の静岡(静岡)戦は、暴投で三回に1点を与えたものの、11三振を奪った。打線も四回に2点、5回に3点を奪い実力の差を見せつけた。

 2回戦は日大二(西東京)と戦い、9番打者の山口博史が3―3の七回に決勝打となるソロ本塁打を放った。山口は試合前の練習でファウルボールが顔面を直撃し、口の中を2針縫っていた。唇を腫らす中での一打に、大きな拍手が送られた。山口は3回戦の都城(宮崎)戦でも、ソロ本塁打を放ち「恐怖の9番打者」と呼ばれた。

 準々決勝は、5季連続出場で「東の横綱」と称された早稲田実(東東京)と対戦。甲子園で12勝を挙げていた荒木大輔に襲いかかり、一回に江上光治、六回に水野雄仁の両2年生がそれぞれ2点本塁打を放った。八回には水野が、荒木の後を継いだ石井丈裕から満塁本塁打を打つなどして大勝した。

 準決勝の東洋大姫路(兵庫)戦は2―2の六回、木下公司の2点本塁打で勝負を決めた。決勝の広島商(広島)戦は、1回2死走者なしから打者一巡の猛攻で6点を奪うなど序盤から圧倒。県勢として初めて夏の全国制覇を成し遂げた。

 畠山は2、3回戦で制球が乱れる場面もあったが、準々決勝からはカーブを多投し、要所を抑えた。打線は6試合全て2けた安打の計85安打。本塁打7本とともに当時の大会記録となった。珍しかったウエートトレーニングを練習に取り入れたパワー野球で、高校野球に革命を起こした。畠山はプロ野球ドラフトで南海(現ソフトバンク)に1位指名され、南海や横浜で活躍した。

 新チームでは水野がエースとなり速球とシュート、カーブを武器に相手打線を封じ込めた。打線も3番江上、4番水野を中心に破壊力十分。翌年春の選抜大会を制すと、第65回は史上初の夏春夏3連覇に挑んだ。

 1回戦の太田工(群馬)戦は1回表に先制されたが、着実に点を重ね16安打8得点で圧勝。2回戦の高鍋(宮崎)戦は先発全員の20安打でねじ伏せ、水野が4安打完封した。3回戦の広島商戦では、水野が五回に頭部に死球を受け転倒。制球が甘くなり3点を失ったが、吉田衡の3点本塁打などで振り切った。

 準々決勝は甲子園10勝の野中徹博がエースの中京(愛知、現中京大中京)が相手。事実上の決勝戦といわれ1―1の九回、高橋勝也の本塁打などで2点を挙げ競り勝った。

 3連覇への期待感が高まる中、準決勝でPL学園(大阪)に、思わぬ大敗を喫する。PLのエースは桑田真澄、4番は清原和博の1年生が主力。優勝を飾り、一時代を築く「KKコンビ」の幕開けとなった。

 水野はドラフト1位で巨人に入り、リーグ優勝や日本一に貢献した。

 夏春夏、春夏春いずれも3連覇を果たした学校は今でも出ておらず、3連覇を目指した大会で準決勝まで進出したのは池田を含めて2校しかない。県勢の優勝は第64回の池田が唯一となっており、第65回の池田以降、4強以上も出ていない。 (敬称略)