モラエスの旧居跡を示す銘板や石碑が残る「モラエス通り」=徳島市伊賀町3

 ポルトガルの文人モラエス(1854~1929年)が、晩年の16年間を過ごした旧居跡(徳島市伊賀町)周辺が「モラエス通り」と命名されて、11月1日で40年を迎える。徳島日本ポルトガル協会などは節目を記念し、講演会や俳画展などを開く。駐日ポルトガル大使らも招き、徳島を愛したモラエス終焉(しゅうえん)の地の記憶継承を図る。

 「モラエス通り」は伊賀町1丁目から4丁目にかけての南北約700メートル。同3丁目には神戸総領事を辞したモラエスが妻おヨネの墓を守るため、75歳で没するまでつましく暮らした長屋があった。長屋ではおヨネの姪(めい)コハルと3年間暮らした。75年11月1日、西富田公民館の創立20周年記念事業で名付けられた。

 徳島日ポ協会によると、モラエス通りは徳島市の姉妹都市ポルトガル・レイリア、同国の首都リスボン、モラエスの赴任地マカオにも存在するが、本人が実際に暮らした場所にあるのは徳島市伊賀町だけ。同公民館の岩佐重明館長(76)は「40年前はモラエスを実際に見たり、人柄を伝え聞いたりした住民もいて、身近な存在だったのだろう」と話す。

 旧居跡には石碑とモラエスの胸像が建てられ、「モラエス通り」のシンボルとして市民や文学ファンに親しまれた。ただ2011年に旧居跡が売却されたため、胸像は近くの新町小学校内に移設。現在は旧居跡を示す銘板と石碑を残すだけになっており、記憶の風化を心配する声もある。

 記念講演は1日午前10時半から西富田公民館であり、徳島大大学院の佐藤征弥准教授が「モラエスとともに暮らす」と題して話す。エステヴェス駐日大使も駆け付け、あいさつする。

 また31日~11月6日は「モラエス俳画展」として、大西啓子俳画教室(小松島市)の会員がモラエス忌(7月1日)に詠まれた句に合わせ、眉山などを描いた作品約20点を展示する。いずれも無料。

 徳島日ポ協会の桑原信義会長(83)は「徳島の土地と人を愛したモラエスを、あらためて知るきっかけにしてほしい」と話している。