吉本興業の小籔千豊さんをドラムに迎え、演奏するチャットモンチー=21日、徳島市のアスティとくしま(上山陽介撮影)

チャットモンチー

 好評連載もついに最終回。執筆は福岡晃子さん。

【5】チャットモンチーになりたい~第3章~

 

 鳴門教育大学に入学してすぐ軽音楽部に入部した。理由はもちろん、バンドについてもっと知るためである。

 音楽、特にバンドに関してはほぼ聴く専門だったド素人の私が、オリジナル曲を演奏するチャットモンチーにいきなり加入したわけだから、知識は絶対にあったほうがいい。先輩にいろいろ教えてもらおうと意気揚々と入部したのであった。

 ところがと言うか、さすがとも言うべきか。軽音部の先輩は個性を爆発させた人たちの集団であった。自分のキャラの薄さに居場所を失いそうになる。授業中は真面目で大人しい先輩も、マイクを持つとたちまち人が変わったように激しく頭を振りシャウトし始めるのであった。

 そんな味の濃い先輩たちの中で、一番可愛がってくれたのが1つ年上の高橋久美子先輩(当時久美子さんと呼んでいた)だった。居場所を見つけられずオロオロしている私にとても優しくしてくれた。

 久美子さんの軽音部でのパートはドラムだった。わたしのチャットレーダーがこれを見逃すはずがない。ことあるごとに久美子さんにメンバーになってくれないかと猛アタックしてみる。が、速攻でフラれる。そりゃそうだ。学校の先生になるために教育大学に入ったんだもの。「バンドでプロになりたいので入ってください」なんて勧誘するこっちの方がどうかしているのだ。

 その後もスキあらば華麗にアタックを繰り出すものの、結果は見事に惨敗。久美子さんはほんわかした雰囲気をまといながらも、意志を曲げないしっかり者であった。

 ある時、久美子さんがチャットのライブを見に来てくれる機会があった。その時のチャットも例によって(第2章参照)ドラムが急遽不在となり、2人だけでライブすることになった。その時の編成は歌とピアノ。ロックバンドとしてデビューしたいバンドには到底見えなかったと思う。

 それでも久美子さんは、そのライブに感動したと言ってくれた。なんとかしようと2人で頑張る姿がよかった、と。

 ほどなくして、久美子さんはバンド人生に自らダイブしてくれることとなった。あの瞬間の気持ちを、今も忘れることができない。

 ここから先は、皆さんもご存じの通りである。2005年チャットモンチーはメジャーデビューを果たし、くみこんは6年間チャットモンチーの無敵のドラムとして活躍してくれた。本当に濃厚な時間だった。

 (2011年の)くみこん脱退後、わたしはドラマーに転向し、えっちゃんも歌いながらドラムを叩き、そうやってまた新しい音楽に出会っていった。やりたい音楽がどんどん湧いて来た。それを形にしていくために、強力なサポートメンバーに加入してもらった。音楽でやりたいことがどんどん叶っていった。

 そしてまた、2人で何かやりたくなった。2人で何かやりたい。最後に出て来た欲求だった。そしてこれも、無事に念願叶ってしまったのだ。

 2018年7月4日。チャットモンチーのラストワンマンライブが日本武道館にて行われた。デビューして13年という時間が作らせてくれた、幸せな時間だったんだと思う。正直なところ、本番中の記憶がほとんどない。ライブ後3〜4日間は思考停止状態に陥ったほどであった。

 あの日、気がつくとあっという間に最後の曲になっていた。ステージにはえっちゃんとわたしの2人だけ。そしてピアノだけがポツンとそこにあった。武道館にはくみこんも観に来てくれていた。

 また、15年前と同じことやっている、と思うと少し笑える。でも、同じことを繰り返しているわけじゃなかった。あの頃の私たちはたった2人だったけれど、今はたくさんの人たちに寄り添ってもらってそこに立つことができている。

 デビューする前に「チャットモンチーになりたい」という自主制作CDを作ったことがあった。このタイトルが、色々な局面で私たちを試していたんじゃないかと思うことがある。永遠の青コーナーに立っていたのは、それに打ち勝ちたかったからかもしれない。

 バンド結成18年、デビュー13年分の私たちと、今は乾杯して一緒にお酒を飲みたい。本当に楽しかったね。チャットモンチー完結おめでとう。