決勝戦でスタンドから必死に声援を送る生光学園3年の(前列右から)新開さん、松崎さん、堀田さん=鳴門オロナミンC球場

決勝戦を終え、選手たちとともに保護者らにあいさつするスコアラーの保浦さん=鳴門オロナミンC球場

 うだるような暑さの中、野太い声による応援歌が球場に響く。26日に鳴門オロナミンC球場であった第100回全国高校野球選手権徳島大会決勝は、最終回を迎えていた。鳴門に2点差をつけられていた生光学園は、1死満塁のチャンス。ベンチ入りできなかった約70人の部員たちがスタンドで声を張り上げる。その中には、背番号のない3年生18人の姿があった。

 部員数は参加31校中、最多の91人。3年生だけで35人に上る。ベンチ入りへの競争は激しい。

 徳島大会を1カ月後に控えた6月9日、同校で特別な試合が行われた。「引退試合」と呼ばれ、出場するのはベンチ入りが厳しい3年生。気持ちに区切りをつけてサポートに専念してもらうため、毎年この時期に開いている。

 今年は河野雅矢監督(38)が数日前にメンバーとして9人を選び、県立和歌山商業と対戦した。メンバーの一人、堀田雅斗さん(17)は、奈良県上牧町出身。徳島県は出場校が少ない上、生光学園は練習環境が整い甲子園出場の可能性が高いと感じ、門をたたいた。

 しかし練習は厳しく、選手のレベルも想像を超えていた。昨年8月の新人大会で背番号20番をもらったものの、思うように実力が伸びない。冬に母厚子さん(37)に電話で切り出す。「野球をやめたい」。返ってきたのは「分かった。後悔しないのなら、もう一度連絡してきて」という優しい言葉。両親は当初奈良の高校を薦めていた。自分の固い決意を信じて送り出してくれた気持ちを思い起こし、踏みとどまった。

 引退試合には、両親が駆け付けた。悔いがないようにと、力いっぱいバットを振り、3安打を放つ。ほとんど褒めてもらったことがない父武志さん(40)から「今までよう頑張った」とねぎらわれ、涙がこみ上げてきた。

 自らの意思で選手を諦めた3年生もいる。徳島市の富田中出身の新開雄次郎さん(18)は3月に腰椎分離症を発症。痛みが止まらず、5月初旬にサポート役に回った。

 同じ頃、1年秋からスコアラーを務めながら選手を続けていた愛知県犬山市出身の保浦遼麿さん(17)は、スコアラー専属を決めた。3年春に初めてベンチ入りを果たしたが、その後不振に陥り、裏方に徹する道を選んだ。

 3人は複雑な思いを抱えながらも、支えようと強く思うきっかけとなった出来事がある。堀田さんは、引退試合で主力部員が必死に応援してくれた。新開さんは、故障で一番苦しい時に「治ってから取り返したらいい」と励まされた。保浦さんは、相手校のデータを分析し「おまえのおかげで打てた」と感謝された。

 気持ちは一つに固まっていく。「少しでもこのメンバーと一緒に長く野球をして、甲子園に行きたい」

 最もつらいのが最後でベンチ入りの争いに敗れる場合だ。徳島大会開幕2日前の5日、メンバー20人が発表され、3年生8人が新たに外れた。京都市出身の投手松崎嘉文さん(18)は「選ばれると思っただけにショックだった」。昨秋の四国大会と今春の県大会は背番号をつけ、登板していた。

 松崎さんは寮に戻ると、気合を入れ直すため、ベンチから外れた他の3年とバリカンを使い頭を丸め合った。夜にはベンチに入った3年の投手陣から無料通信アプリのLINE(ライン)で「おまえのためにも甲子園に行く」といったメーセッジが届く。

 「悔しいが、苦しい練習を一緒にしてきた仲間に力を出し切ってほしい」。前を向いた。

 徳島大会での応援団長には、リーダーシップの強い新開さんが選ばれた。「アイスマン」「男の勲章」...。各打者に気分よく打席に立ってもらおうと、大会前には応援時の希望する曲を聞いた。

 堀田さんは太鼓をたたき、松崎さんは対戦相手の投手の癖を分析した。スコアラーとしてベンチに入った保浦さんは、近くから仲間を鼓舞した。

 チームは勝ち進み、悲願の甲子園初出場にあと1勝までこぎ着ける。迎えた決勝。2点差は縮まらないまま、試合が終わった。

 ベンチから出てきた選手に、スタンドにいた18人の3年生が駆け寄る。最後の打者となり泣き崩れる吉田大成副主将(18)ら一人一人と抱擁し、声を掛け合う。

 保浦さんと堀田さんは言い切った。「僕ら以上に努力してきたベンチメンバーのために、やれるだけのことを精いっぱいやった。悔いはない」。背番号はなくても、同じブルーのユニホームを着て共に汗を流した仲間と時間は、これからも胸に刻まれる。

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 第100回全国高校野球選手権徳島大会が幕を閉じ、甲子園に出場する鳴門を除く30校の夏が終わった。戦いに挑んだのは選手たちだけではない。もう一つの物語を届けたい。