球審を務めアウトの判定を下す松島さん=鳴門オロナミンC球場

ジャッジにかける思いを話す武田さん=鳴門オロナミンC球場

 「アウトー」。鳴門と生光学園が戦った第100回全国高校野球選手権徳島大会決勝は、ショートゴロの併殺で試合が終わった。二塁塁審を務めた松島利之さん(55)=徳島市沖浜、農業=は、二塁手がベースをしっかり踏んで投げたのを見届けてから右手を挙げた。

 判定によって試合の展開や結果が変わる可能性があるだけに、松島さんは「1球たりとも気を抜けないという覚悟でやっている」と言う。

 審判歴17年。県高野連に登録する審判34人の多くが大学や社会人の試合もジャッジする中、高校野球一筋を貫く。「強い弱いに関係なく、どの学校の選手もひたむきにプレーしている。審判が好きというより高校野球が好きだから続けている」。今年の徳島大会では6試合で球審と塁審を務めた。

 小松島西高校時代は捕手として活躍し、2年の秋には県大会で準優勝して四国大会に進んだ。卒業後は野球から離れていたが、城西の選手だったおいの試合を見に行った時に昔の思いがよみがえった。高校野球に関わりたいと、審判の道に進んだ。

 公式戦以外の練習試合にも頻繁に出向き腕を磨く。徳島大会はケーブルテレビで生中継されるため、毎年審判を務めた試合を録画している。後で「もっと見やすい位置取りはできなかったのか」などとチェックする。

 目指す審判像は、「『松島』という名前を覚えられない審判」。試合が円滑に進めば審判は目立たない。おかしな判定があれば、「何という名前の審判や」などと言われるためだ。

 判定は堂々と、冷静に下す。しかし選手への熱い思いを内に秘める。今大会で担当した1、2回戦の2試合でエラーが相次いだときには、心の中で「下向くな、気持ちを切らすなよ」と叫んだ。「どの学校の選手も球児という意味では後輩。全員に力を出し切ってほしい」

 球児から学ぶこともたくさんあるという。特に練習試合で、腹の底から声を出すなどして必死にチームを鼓舞する控え選手を見て「わしはこの子に人として負けとんな、と思うことがある」。そんな選手たちが大会に代打や代走、守備交代で登場すると、「疲れていても足取りが軽くなる」と笑う。

 「球児にエネルギーをもらっているため、この年になっても成長できていると感じる」。今年の大会も無事に終え、充実感をのぞかせた。

 1994年に審判になった武田泰信さん(48)=上板町七條、同町職員=は、春夏通じて甲子園で3度優勝した池田の出身。甲子園の土を踏んだ3年の夏は背番号13をつけてベンチ入りしたが、徳島大会を通じて一度も出場機会がないまま最後の夏を終えた。中京大進学後もレギュラーにはなれなかった。「どうしてもグラウンドに立ちたい」。不完全燃焼の思いが、審判を志すきっかけになった。

 2016年10月には、国際審判としてメキシコであったU―23(23歳以下)W杯に派遣されるなど、日本を代表するアマチュア審判の一人でもある。担当した試合は2千を超えるものの、「心から納得できる判定ができたことは一度もない」と自らに厳しい。

 高校野球への思い入れは特別で、気配りも忘れない。審判は迅速な試合進行が求められるが、代打が出たら、場内アナウンスが終わるまで再開しない。「1球目を打てば誰か分からないままになるかもしれない。観客に彼の名前を知ってほしい」。打席に立つ前に素振りをしていても急がせずに黙って見守る。「自分が控えだっただけに気持ちが分かる」

 昨春から地方公共団体金融機構(東京)に派遣されており、都内で暮らす。それでも見る目が鈍らないよう月2回ほど週末に帰県し、試合に出向く。夏は東京ドームである都市対抗野球と重なるため、徳島大会での審判は少ない。今年は7月7日の開幕戦だけ球審が予定されていたが、雨天中止となり、残念がった。

 毎日寝る前、200ページに及ぶルールブックに目を通すなど、研さんを怠らない。「審判としてレギュラーになれた幸せをかみしめながら、高校生が悔いを残すことのないよう、これからも正確なジャッジに努めたい」と話す。審判たちのたゆまない努力と強い気持ちが、球児の夏を支えている。