1回戦の那賀戦で好機に得点し、スタンドで歓声を上げる池田辻の森脇さん(右)と森下さん=鳴門オロナミンC球場

準々決勝の城東戦で得点を挙げ喜ぶ富岡西野球部保護者会の村上会長(左)と小田副会長=鳴門オロナミンC球場

 第100回全国高校野球選手権徳島大会第3日の第3試合。1回戦の池田辻対那賀はシーソーゲームになった。「負けるな」。懸命に投げる池田辻の背番号「1」に、ひときわ大きな声援を送る女性がいた。

 エースナンバーをつけた森脇大誠さん(17)=3年=の母美千代さん(40)=美馬市美馬町下突出、パート従業員=だ。

 大誠さんは、同市の重清東小5年のときに野球を始めてから、ずっと控えに甘んじてきた。美千代さんは毎試合足を運び、励ましてきた。

 池田辻入学後も出場機会はなかったが、今春から練習試合での登板が増え、結果を出せるようになった。6月の県総体を前に、息子が持ち帰ってきた背番号を見ると「1」の文字。ユニホームに縫い付ける間、この7年間を思い起こし、涙が止まらなかった。

 那賀には競り勝ったものの、大誠さんは途中降板となった。美千代さんは「試合に出られないときから誰よりも声を上げて頑張ってきた。最後まで諦めない姿を見せてくれただけで幸せです」と涙ぐんだ。

 美千代さんに負けず、主将・森下敦哉さん(17)=3年=の母恭代さん(47)=東みよし町加茂、会社員=が声を張り上げていた。頭をよぎっていたのは、もがき続けた姿だ。

 敦哉さんは優しい性格で仲間に厳しいことが言えず、4番としても好機に凡退することが多かった。高井正善監督(48)から「勝てないのはおまえが主将として引っ張れずチャンスに打てないからだ」と何度も怒られた。

 昨秋のある日、帰宅した敦哉さんがつぶやいた。「初めて野球が面白くないと思うようになった」。恭代さんは「真剣じゃないから面白かったんよ。苦しさの先に楽しいことがある」と励ました。

 「そうかもしれん」。気を取り直した敦哉さんは努力し好機に打てるようになり、仲間も叱れるようになった。徳島大会1回戦で勝ち越し本塁打を放った。

 池田辻は2回戦で敗れたものの、森脇さんと森下さんは「息子と共に楽しい時間を過ごすことができた」と笑顔を見せた。池田辻保護者会のスローガンは「熱くなれ」。完全燃焼だった。

 「よっしゃ」。4強入りした富岡西の応援席は毎試合、好機に適時打を放った選手の保護者の元に他の保護者たちが駆け寄り、タッチを交わす。チームカラーであるえんじ色のTシャツを着た40~50人が固まり、力強い声援を送る。

 一体感を心掛けるのは、悔しい思い出があるためだ。村上大祐主将(17)=3年=の父で保護者会長の智也さん(44)=阿南市桑野町中富、会社員=が明かす。

 昨年10月、秋季四国大会進出が懸かった県大会3位決定戦で鳴門渦潮に九回に逆転され敗れた。「ベンチ、スタンド一体の相手の盛り上がりに負けていた」と振り返る。

 新チームで会長になった村上さんは保護者会の在り方を考えた。「保護者が担える役割は何か。やはり『参加』だ」。これまでは遠慮してか、保護者会の総会などに出ない人が大半だった女子マネジャーの保護者にも連絡して出席を呼び掛けた。そんな中、3位決定戦で敗退。さらに結束を固めようと、夏の徳島大会前には保護者と部員を集め決起集会を開いた。

 甲子園出場はならなかったものの、村上さんは「保護者一丸の思いが、子どもたちにも伝わり一体になれた。毎試合、相手チームに重圧をかけられたと思う」。充実感がにじんだ。

 保護者会副会長の小田昇さん(43)=同市上大野町中川原、会社員=は、1992年春の選抜大会に新野が初めて甲子園の土を踏んだメンバーの一人だ。

 息子で中堅手の倭さん(18)=3年=に甲子園出場を話したことはない。自らの意思で聖地を目指すことになった倭さんを妻珠美さん(43)と見守り、支えた。自宅庭で両親からティー打撃を手伝ってもらい力を付けた倭さんは4番に座り、徳島大会1回戦では本塁打を放ち、準決勝でも逆転二塁打を放った。

 親子での甲子園出場は果たせなかった。昇さんは息子の努力をねぎらいながらも「まだまだということ」と言い、悔しさをかみしめた。

 球児たちと共に戦い、喜び、泣いた。保護者にとっても忘れられない夏になった。