海陽町出身の近畿在住者が7月につくった「海陽町関西ふるさと会」で、初代会長に就いた。「古里のことを思い出しながら交流するだけではなく、何かしら海陽町が良くなっていく手だてを探っていきたい」

 海南、海部、宍喰の旧3町からなる海陽町。長年郷里から離れて暮らす出身者にすれば知らない間に合併していたとの印象が強く、どうしても旧町に親近感を覚える人が少なくない。その意識を乗り越えて、実りある組織とするため2014年から発起人会を設け、自治体も巻き込みながら設立準備を進めてきた。

 趣旨に賛同して集まった会員は約100人。今後も会員を増やし、地域活性化に向けたアイデアの掘り起こしを進めていく構えだ。「合併した難しさはあるが、一致して地元を盛り上げていきたい」

 旧宍喰町生まれ。野根川や海部川の清らかな流れ、水床湾や竹ケ島周辺の眺め、桃源郷かと見まごう鈴ケ峯、家族のように温かく接してくれた人々…。望郷の思いがあふれる。「妻には『郷土愛が人より強いわね』って言われますよ」と苦笑する。

 宍喰中時代は2年下の尾崎将司さんらとともに野球に明け暮れ、海南高(現海部高)を経て大阪で就職。快適な二輪車に可能性を感じて、23歳の時にヤマハ発動機へ転職した。バイクや小型船舶、ゴルフ場のカートなどの販売を手掛けた。退職後は兵庫県内のNPO法人・UWHに入り、県内ボートパークの管理運営や海難事故防止に向けた啓発活動などに取り組む。

 環境が変わっても、誠心誠意を尽くして物事に当たってきたという自負がある。「温かい人に支えられながら暮らした古里の日々が、自分のバックボーンとなり、ここまでこれた。その恩をお返しする番だと思います」。

 おくむら・やすし 1963年海南高を卒業し、研削工場勤務を経て67年、ヤマハ発動機に転職。西日本の販売部門を中心に歩み、特機事業部西日本営業所販売課課長などを歴任。92年に発足した関西宍喰会の幹事も務めた。奈良市在住、71歳。