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社説
11月8日付  朝鮮通信使   日韓の壁を越える遺産に  
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 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に、日韓両国の自治体などが共同申請した江戸時代の外交資料「朝鮮通信使に関する記録」が登録された。

 群馬県の古代石碑群「上野(こうずけ)三碑(さんぴ)」も選ばれ、日本からの登録は計7件となった。

 朝鮮通信使は、日韓の友好の歴史を象徴する存在である。文化交流を通じて国際平和を促進するというユネスコの理念にかなうもので、登録された意義は大きい。これを機に、両国の友好関係を深めることが重要だ。

 朝鮮国王が日本に派遣した外交使節団である通信使は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で断絶した国交を回復する目的で始まった。1607年から1811年までの約200年に、徳川将軍の代替わりの際などに計12回、来日。武官や文官、医師、楽隊ら総勢500人に達したこともある。

 一行は、韓国・釜山から海路で長崎・対馬、瀬戸内海を経て大阪に移動。淀川をさかのぼり、京都からは主に東海道で江戸に向かった。

 宿場では日本の医師や学者らが競って面会を求め、進んだ学問や文化を学んだ。民衆も異国情緒あふれる行列を大いに楽しんだようだ。

 一方、朝鮮では通信使が日本から持ち帰ったサツマイモが定着し、飢饉(ききん)を救ったこともあったという。

 「世界の記憶」には、一行が通った国内12都府県と韓国に残る外交文書や絵巻など、計333点が登録された。

 特筆すべきは、両国の有志が5年間にわたり、登録に向けて力を合わせたことだ。通信使にゆかりのある日本の自治体や民間団体でつくる朝鮮通信使縁地連絡協議会と、韓国の釜山文化財団である。

 協議会の理事長が「文化の壁などを乗り越えつつ協議を重ね、共同申請にこぎ着けた」と振り返るように、資料選定などで意見が対立する場面もあった。ここまで来られたのは「互いを思う気持ち」を大切にしたからだという。

 協議会は、通信使がたどった道を歩く「友情ウオーク」などを開いて草の根交流を進めてきた。釜山文化財団は、関連資料を展示する記念館の設立構想を描いている。

 日韓には従軍慰安婦や竹島領有権問題といった障壁があり、どう克服するかが課題になっている。200年に及ぶ記録を両国共通の遺産にした教訓から学ぶことは多い。

 漢字で刻まれた「上野三碑」も日本と韓国、中国との交流の歴史を今に伝えるものだ。同時に登録されたのは喜ばしい。

 期待された「杉原リスト」の登録は見送られた。第2次大戦中に「命のビザ」で多くのユダヤ人難民を救った岐阜県出身の外交官杉原千畝(ちうね)の資料である。

 ユネスコは、登録の可否について判断理由を開示していないが、リストが高い価値を持つのは言うまでもない。2年後の審査が待たれる。

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