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プロボクサー育てる川田武司さん「必ずチャンピオン出す」   2017/12/3 13:35
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プロボクサー育てる川田武司さん「必ずチャンピオン出す」 徳島県阿波市土成町の田園地帯にある小さな木造の平屋。夜になると、サンドバッグをたたく音が聞こえてくる。県内で唯一、プロボクサーを養成できる「川田ボクシングジム」。元プロ選手の川田武司会長(70)=吉野川市鴨島町喜来=が立ち上げ、40年を超えた。夢は当初から変わらず「田舎から日本チャンピオンをつくる」。70歳を過ぎても意欲は衰えず、リングに立つ。
 
 「腰入れて」「もっと早く。もっと強く」。普段は笑顔が印象的な川田会長だが、練習中の見る目は鋭い。ミットを持つと表情が変わり、さらに熱が入る。中央にリングが置かれ、布テープで補強されたサンドバッグが歴史を感じさせる。

 所属しているプロは現在1人。このほか、県内や香川県に住む小学生から39歳までの男女30人ほどが練習生として通う。40年余りで指導した練習生は「千人は超えている」とこともなげに話す。

 目指すスタイルは「ガードを固め、打たれずに打つボクシング」。脇を締めてあごを引く構え方や足の運びなど基本的な姿勢や動きを特に重視する。

 川田ジムからプロ選手になり、今は指導を手伝う南新二さん(46)=鴨島町麻植塚、会社員=は「昔から丁寧な指導や情熱は変わらないが、技術がすごい。指導する立場になって改めて実感した」と話す。

 川田会長がボクシングを始めたのは御所中学校(現土成中)を卒業して間もない1962年。「生まれつき体が細く劣等感を持っていた。体が小さい者だけで戦えるボクシングに魅力を感じた」
 
 集団就職で古里を離れ、大阪のガラス会社で働きながら兵庫県尼崎市のジムに通った。しかしすぐにジムが廃業。続けるためには東京に行くしかないと決断し、会社を辞め1人で夜行列車に乗った。

 到着後、職を探すために訪れた職業安定所での出来事が岐路になる。かばん一つを持った学生服姿に驚いた職員が「何かをしたくて上京したんだろ」と尋ねる。ボクシングの意志を伝えると、銀座8丁目にあったそば屋の仕事を紹介された。

 意志を伝えたからかどうかは分からない。ただ「この時に仕事が見つからなかったら、関東で不良になっていたかもしれない」と振り返る。

 憧れの存在だった東洋フェザー級チャンピオンの関光徳氏(故人)が所属する親和ボクシングジム(現横浜光)の門をたたいた。そば屋の出前持ちなどをしながら練習生として通い、63年にフライ級でプロデビューを果たした。その後、ジュニアフェザー級に転向。「星健(ほしたけし)」のリングネームで42戦に臨み、通算成績は23勝12敗7分。最高で日本8位にランクされた。
 
 体力の限界を感じ、73年に引退した。「自分が果たせなかったチャンピオンになる夢を若い人に託そう」とジムのマネジャー資格を取得し、古里に戻った。77年に実家の製麺所横に小さなボクシングジムを構え、78年には四国初の日本プロボクシング協会加盟ジムとして認可された。

 モットーは「礼儀正しく、前進努力」。若者への指導では技術よりも礼儀を重んじる。「ボクシングで成功しなくても人生は続く。練習を通じて人間性を磨いてほしい」

 これまでに50人のプロを輩出し、最高位は砲丸野口(本名野口泰雪)選手の全日本ライト級2位。ここ数年はプロで活躍する選手も少なくなり、日本チャンピオンは生まれていない。

 それでも諦めない。「続けていれば、いつか必ずチャンピオンが現れると信じている」。ジムの壁には、育てた選手が掲載された新聞記事の切り抜きや試合のポスターが張り巡らされている。日本チャンピオンの記事を張る日を夢見て挑戦は続く。
【写真説明】夢を追いボクシングの指導を続ける川田武司会長(左)=阿波市土成町の川田ボクシングジム





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