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星野氏は「プロ入りの恩人」 元中日・川上憲伸さん沈痛   2018/1/7 11:03
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星野氏は「プロ入りの恩人」 元中日・川上憲伸さん沈痛 プロ野球の3球団をリーグ優勝に導き、「闘将」と呼ばれた星野仙一氏からは徳島県出身選手も熱い指導を受けた。明治大の後輩でもあり、入団時から気に掛けてもらっていたという元中日投手の川上憲伸さん(42)=徳島市出身、野球評論家=は6日、早すぎる死を悼んだ。

 大リーグでも活躍した川上さんは、中日時代の監督だった星野氏を「プロの世界に導いてくれた恩人」と話す。
 
 昨年12月、大阪市で開かれた「野球殿堂入りを祝う会」で対面したのが最後となった。昔と変わらない大きな声でスピーチした星野氏。「体調が悪いなんて想像もつかなかった。周りに気付かれないようにしていたのでは」と心を痛めた。
 
 1997年のドラフト会議で中日に1位指名され、憧れだったプロの世界へ。入団発表では笑顔で固く握手した。「一緒にプレーする前は優しい印象が強かった」と懐かしむ。
 
 ベンチでは常に緊張感を漂わせ、川上さんは体中から放たれる強いオーラを感じていた。「本当に監督と言える人は星野さんだけ」。技術以外にもプロ選手としての振る舞いなど、多くのことを教わった。
 
 99年、星野氏の指揮下で川上さんはリーグ優勝を経験。2年後、星野氏は阪神監督に就任し、川上さんは寂しさを覚えた半面、エースとしてやっていく気構えを強くして04年には最多勝とMVP、沢村賞を受賞した。
 
 08年北京五輪では星野氏に選出され、ロッテの捕手だった里崎智也さん(41)=鳴門市出身=とバッテリーを組み、ジャパンの一員として戦った。
 
 先発へのこだわりを捨てて中継ぎに回り、チーム最多の5試合に登板。「他にいい投手がいたのに、僕を信じて使ってくれた」。3位決定戦で敗れて、メダルなしに終わったことは今も心残りだという。
 
 野球評論家として多忙な日々を送りながらも指導者の道を目指している川上さんは「勝利を追う熱い気持ちを、きっちりと受け継ぎたい」と誓った。
【写真説明】中日から1位指名され、先輩の星野監督(右)と握手する明大の川上憲伸投手=1997年11月21日、東京都内のホテル





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