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右目失明も諦めない気持ちと仲間の支えで甲子園へ  鳴門渦潮(徳島)の竹内選手   2017/8/3 11:00
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右目失明も諦めない気持ちと仲間の支えで甲子園へ  鳴門渦潮(徳島)の竹内選手 第99回全国高校野球選手権大会(7日開幕)に出場する鳴門渦潮高校(徳島県)野球部に、練習中のアクシデントで右目を失明するハンディを乗り越えてベンチ入りした選手がいる。ショックから一度は気持ちが折れそうになったが、チームメートの支えで奮起。徳島大会ではランナーコーチとして勝利に貢献した。苦難を克服した自信と仲間への感謝を胸に、憧れの聖地を踏む。
 
 2015年12月。近くから軽く投げたボールを打つトスバッティングの練習中、打者の打ち損じたボールが当時1年生だった竹内虎太郎選手(17)=3年=の右目を直撃した。
 
 後頭部に突き抜けるような痛みが走り、目と鼻から大量に出血。救急搬送され、手術を2度受けた。
 
 退院したのは約2週間後。眼帯を外して病院内を歩くと、少しの段差につまずいて転びかけた。階段もうまく下りられない。その時初めて右目の光を失ったことに気付いた。
 
 兵庫県西宮市出身。親の仕事の都合で3歳まで徳島市で暮らした。親元を離れて鳴門渦潮高を選んだのは、同校の前身・鳴門工業高が05年夏の甲子園でベスト8入りしたことが印象に残っていたからだ。
 
 レベルの高さに充実した毎日を送っていた中での突然の失明は、人生を暗転させた。「この先どうやって過ごしたらいいのか」。不安から、大好きな野球のことを考えられない時期もあった。
 
 そんな自分を変えてくれたのは両親や野球部の仲間だった。両親はことあるごとに「大丈夫」と声を掛けてくれた。部員たちからは「また一緒に野球をしよう」と書かれた色紙が届いた。
 
 心が次第に前向きになった。「甲子園に行くためにこの学校を選んだ。諦めたら駄目だ」。そう自分を奮い立たせた。
 
 退院から2カ月後の16年3月、野球部に復帰したが、プレーするのは簡単ではなかった。バットにボールが当たらず、グラブでの捕球もままならない。片目の視野しかないのは、野球選手として大きなハンディだった。
 
 ショックだったが、「練習して克服するしかない」と闘志を燃やした。バッティングマシンが放つ球を近くで見て目を慣らしたり、ゴロを捕球したりする練習を地道に重ねた。
 
 半年余りたつと「外野手として試合に出られるレベル」(森恭仁監督)にまで成長した。森監督は「大けがに屈せず、懸命に練習する姿勢には頭が下がる」とうなる。
 
 徳島大会では全試合で三塁ランナーコーチを務めた。試合前には対戦相手の野手の肩の強さを入念に分析し、味方の走塁に生かした。「判断力は抜群。彼がランナーコーチでいると安心できる」(笹田貴義選手)と信頼は厚い。
 
 「ここまで野球を続けてよかった」と竹内選手。大舞台でも得点につながる走塁を指示し、勝利をアシストする。
【写真説明】7月に義眼を入れた竹内選手。甲子園では三塁ランナーコーチとしてチームに貢献する=鳴門渦潮高グラウンド



鳴門渦潮(徳島)甲子園練習 グラウンドの感触確認
鳴門渦潮の高橋広前監督(早大監督)がナインを激励







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