徳島新聞Web

12月12日(火曜日)
2 2
12日(火)
13日(水)
高校野球
右目失明の竹内選手(徳島・鳴門渦潮)三塁コーチで得点導く 「最高の場所だった」   2017/8/13 13:10
このエントリーをはてなブックマークに追加

右目失明の竹内選手(徳島・鳴門渦潮)三塁コーチで得点導く 「最高の場所だった」 右目を失明している鳴門渦潮の竹内虎太郎選手(17)=3年=が、12日の1回戦、日本文理(新潟)戦で三塁コーチを務めた。努力を重ねて立った憧れの舞台。磨いてきた的確な状況判断で、仲間を本塁に導いた。「最高の場所だった。ここに来られて幸せ」。勝利はつかめなかったが、やりきった思いと仲間への感謝で涙があふれた。
 
 四回。走者一塁で鈴江が安打を放つと、迷わず大きく腕を回した。中堅手の体勢と連係を分析した上での判断だった。走者は一気に生還し「1点でも多く取るのには貢献できた」と少し誇らしげに言った。
 
 2015年12月、練習中に打者の打ち損じたボールが右目を直撃。緊急搬送され、手術を二度受けたが右目を失明した。「この先どうやって過ごしたらいいのか」。不安から、大好きな野球のことを考えられない時期もあった。
 
 そんな自分を変えてくれたのは両親や野球部の仲間だった。両親はことあるごとに「大丈夫」と声を掛けてくれた。部員たちからは「また一緒に野球をしよう」と書かれた色紙が届いた。
 
 心が次第に前向きになった。「甲子園に行くためにこの学校を選んだ。諦めたら駄目だ」。そう自分を奮い立たせた。
 
 退院から2カ月後の16年3月、野球部に復帰したが、プレーするのは簡単ではなかった。バットにボールが当たらず、グラブでの捕球もままならない。片目の視野しかないのは、野球選手として大きなハンディだった。それでも、バッティングマシンが放つ球を近くで見て目を慣らしたり、ゴロを捕球したりする練習を地道に重ねた。
 
 半年余りたつと「外野手として試合に出られるレベル」(森恭仁監督)にまで成長した。森監督は「大けがに屈せず、懸命に練習する姿勢には頭が下がる」とうなる。
 
 苦難を克服して立った聖地のグラウンド。スタンドで見守った父の義仁さん(47)は「野球を続けると聞いた時は心配とうれしさが半々だった。夢のよう」とたくましい息子の姿を目に焼き付けた。
 
 竹内選手は今後も野球を続けるつもりだ。将来の夢は教師。「先生になって甲子園に戻ってきたい」と誓った。
【写真説明】日本文理戦の4回、走者の奥選手(9)に向かって大きく腕を回す鳴門渦潮の三塁コーチ・竹内選手=甲子園球場



右目失明も諦めない気持ちと仲間の支えで甲子園へ  鳴門渦潮(徳島)の竹内選手
鳴門渦潮(徳島)初戦で涙 日本文理(新潟)に5ー9







メニュー
 徳島ヴォルティス        高校野球
 社説        鳴潮           号外       地震
 ニュースリリース           不審者
 人事       訃報