県歌人クラブ会長で、徳島新聞「徳島歌壇」選者の斎藤祥郎さんが亡くなった。82歳だった
驚くのは、歌人クラブ会長を22年、徳島歌壇選者を30年、歌誌「徳島歌人」主宰を42年も務めていることだ。まさに短歌一筋の生涯である。いったい、どれだけの人が斎藤さんの薫陶を受けたのだろう。失われたものの大きさに、あらためて気づかされる
思い出すのは、文化部の記者時代にインタビューしたときのことだ。戦後50年を迎えた1995年、連載企画「歌人が語る戦中・戦後」の第1回に登場していただいた。照れ屋でふだんは淡々、ひょうひょうと話す斎藤さんだったが、このときばかりは違っていた
自らの内面をえぐるような口調で、原爆投下から2日後の広島の惨状などについて語った。久留米の士官学校へ向かう途中、目の当たりにしたその光景、戦死を美化する軍国主義教育の怖さ・・・。高校の教師時代に受験指導に追われ、生徒たちに戦争体験を語れなかった悔いについても、切々と語った
退職時の思いを詠んだのだろう。こんな短歌をつくっている。<花束を抱へ校門出でむとす銃執り学徒兵たりしこの手に>。自己の内面や日常を見つめた、鋭く繊細なエッセーも数多く残した
今年の6月には歌人の柏原千恵子さんが逝き、そして斎藤さんが逝った。この世がだんだん寂しくなる。
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