向井康介さん連載「創作の余白に」 第3回

三好市出身の脚本家向井康介さんに、日々の暮らしで感じた思いや創作に臨む際の心構えなどを月1回つづってもらう。

筆者がこれまでに手掛けた、映画やドラマの脚本

【第3回】物を書く仕事

物を書く仕事をしていると、会社勤めの人から「自分の好きなときに好きな場所で仕事ができるなんていいですね」とよく言われる。僕のような生活はのんきに映るらしい。人間、隣の芝生は青く見えるものだ。僕からすれば、勤め人の生活がうらやましいと思うときがある。

月曜から金曜の決まった時間に会社に出て仕事をし、週末や祝日などはしっかりと休みに没頭できるメリハリのある生活。まあ、多少は残業もあるだろうが、年2回もボーナスが出るし、有給休暇もある。子供の頃、母は公務員になれとうるさかった。今振り返ってみれば、彼女は正しかったのかもしれない。

締め切りさえ守れば、どこで何をしようと好き勝手に生きていいのが僕の生活だ。その代償として、心の根深いところに澱(おり)のように溜まる憂鬱(ゆううつ)と日々向き合うはめになった。「自由」ほど不安なものはない。僕のような生き方をしていれば自然とそんな風な考え方になる。

思えばその不安は21歳の頃から続いている。僕は大阪芸術大学の映像学科に通う学生だった。数人の仲間と自主映画を作ってはいたものの、これが自分だ、という個人的な本質を見つけられないでいた。4年生になると、卒業するための課題が差し出される。選択肢は二つあった。論文か、長編映画脚本か。

それまで僕は自身の資質を本格的に測ったことがなかった。自分に何もなかったら、と思うと怖かったのだ。それと同時に、自分には何が書けるのだろう、という抗しがたい欲望も湧き上がった。一度向き合ってみようか。僕は長編映画脚本を選んだ。

僕が師事したのは、当時学科長であり現役の映画監督でもあった中島貞夫先生。中島先生は脚本の成り立ちから人物造形、物語の構成などを一から細かく説明してくれた。現場志向の叩き上げだけあって、講義はとても実践的だった。

夏休みに入ると、3週間ほど実家に戻り、思いを文字に起こし始めた。たかだか二十歳過ぎの無知な世間知らずに何が書けるというのか。自分の知っている世界など、この小さなふるさと以外にない。僕は、池田町に一人で住まう、ある女の諦念と希望を物語の中心に据えた。

当然3週間では脱稿せず、大学に戻ってからも少しずつ書き足し、冬になってようやく形らしいものができあがる。書き上げた達成感はあったものの、胸の内にある物語を忠実に活字に表わせない悔しさの方が強かった。

原稿は今も手元にあるが、読み返すだにひどい出来だ。それなのに中島先生は僕に書き続けろと言った。お前は書ける人間だ、やめてはいけない。臆病な心に、初めて小さな野心が灯(とも)った。

以来、僕は休日というものを持ったことがない。どれだけ怠惰に見えても、朝寝をしていても、明け方まで飲んでいても、温泉に浸かっていても、頭はいつも創作のよどみに統べられている。

作劇に対する自然な欲求と、次はもっといいものが書けるはずだという野心と、やっぱり駄目だという絶望と、いいものを書かなければ終わってしまうという恐れ。そういった感情の上には、決して自由を置くことはできないのだ。僕の憂鬱は続いている。

〈これまでの記事〉

第1回 徳島国際短編映画祭

第2回 上京の友人と地酒

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