シャトルに乗せた夢~バドミントン 松友美佐紀、リオ五輪へ

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リオデジャネイロ五輪は8月5日(現地時間)に開幕する。徳島県関係で出場する5人のうち、バドミントン女子ダブルスの松友美佐紀(24)=藍住町出身、日本ユニシス、徳島中-聖ウルスラ学院英智高出=は、最も金メダルに近い。6歳でラケットを握り、ひたむきにシャトルを追い続けてきた18年。世界ランキング1位の称号を携え、日本のエースに成長した彼女の足跡を振り返る。(運動部・平尾貴宏)

ーー小中学時代ーー

毎週金曜日の夜、藍住東小学校の体育館にシャトルを打ち交わす音が響く。松友はスポーツ少年団の藍住エンジェルで初めてバドミントンに出合った。指導する藤本伸監督は今でも当時の情景を鮮明に思い出す。
「とにかく練習が好きだった。普通の小柄な女の子だけど、コートに入ると誰よりも熱心に、夢中になってシャトルを追い掛けていた」
まだ幼稚園児だった松友は2歳上の姉仁美さんと一緒に練習に通った。小学生が休憩する5分間だけ、バドミントン経験がある母の千恵美さんとラリー。よほど楽しかったようで、ラリーの時間がなかったときは帰宅後にラケットを振った。
運動神経が良く、ほかに水泳や器械体操もしていた。しかし、小学生になるとバドミントンだけ通った。日々上達し、強い上級生と打ち合った。練習は週4日。ハードで夜9時近くにまで及ぶ。疲れて帰宅後すぐに寝てしまうことも多かったが、父伸二さんは「一度もやめると弱音を吐いたことがない」と明かす。
技術は当時から抜きん出ていた。背の大きい上級生にコート深くに押し込まれることもあったが、すぐに相手の嫌がるコースを見極めた。負けん気も強かった。幼小中と一緒にプレーした同級生の青見(旧姓水口)愛梨さんは「試合に負けると泣くばかりじゃなく、必ず次の試合はこうやって勝つと言って、練習していた」と振り返る。
3年の時、全国の小学生が集うABC大会のBクラス(3、4年)で8強入り。4年になった翌年は同クラスで栄冠に輝き、5、6年でも優勝をさらった。

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小学生の全国団体対抗戦の優勝カップを抱える松友=2003年、京都府長岡京市

中学校進学を控え、県外の名門校から誘いを受けたが、徳島中を選んだ。2001年から3年連続で全国中学校体育大会で準優勝した強豪だ。松友が3年生になる06年に全中が地元の徳島で開催される予定だったことも理由の一つだった。
中学時代、大きな影響を受けたのが3年時の6月に参加した40日間の中国合宿だ。パワフルな中国選手が放つシャトルは重く、最初は練習時のラリーすらまともに返せなかった。「どうすればあの球を打ち返せるのか」。日々考える中で次第にスピードとパワーに順応し、模擬試合をしても勝てるようになった。
一回り成長して、帰国直後の8月に徳島市で開かれた全中。地元開催のプレッシャーをはねのけて、団体戦と個人シングルスで2冠を達成した。試合後は「同じ中学生に負けるわけにいかないと思いました」と語った。
強い相手と常に本気で戦い、強くなる。中国合宿は、後に世界ランキング1位に上り詰める松友に、明確な競争意識を植え付けた貴重な体験になった。(2016年7月13日掲載)

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