連載「第九永遠なり 鳴門初演100年」 

徳島新聞朝刊で2016年5月24日付からスタートした連載「第九永遠なり 鳴門初演100年」を、徳島新聞Webで順次公開します。(記事=編集委員・藤長英之)

プロローグ
第九の聖地の誇りを胸に練習に励む地元の合唱団員=鳴門市文化会館

第九の聖地の誇りを胸に練習に励む地元の合唱団員=鳴門市文化会館

心一つに平和歌う

 高らかに歌う人たちの表情が誇らしく見えた。35回目を迎える鳴門市のベートーベン「第九」交響曲演奏会の合唱練習。2016年5月18日、6月5日の本番と同じ市文化会館のステージに立った地元の合唱団員は、「第九はわれらの宝」とばかりに力強い歌声を響かせた。
第1次大戦中の1918年6月1日、同市にあった板東俘虜(ふりょ)収容所のドイツ兵が日本、アジアで初めて第九を演奏したという史実は、鳴門で第九に携わる人たちの思いを熱くする。

合唱団601人が高らかに歌った「第九」交響曲演奏会=鳴門市文化会館

合唱団601人が高らかに歌った「第九」交響曲演奏会=2016年6月5日、鳴門市文化会館

板東収容所は、福島県会津若松市出身の松江豊寿(とよひさ)所長による寛大で人道的な管理運営で知られる。そして、四国霊場1番札所・霊山寺がある板東には他者を受け入れるもてなしの精神が根付き、地域住民は捕虜との交流も育んだ。こうした背景の中、捕虜たちは屈指の難曲である第九に挑み、「全ての人々は兄弟になる」という歌詞に平和への思いを託した。
「これら全ての要素が一つになり、第九は私たちの財産となった」。全日本「第九を歌う会」連合会名誉会長で、元鳴門市長の亀井俊明さん(72)は言い切る。

第1次大戦中には、福岡の久留米収容所のドイツ兵が、ベートーベンの交響曲第5番「運命」を初演した。どのクラシック音楽にも日本初演の地はある。しかし、鳴門の第九ほど、地域の宝となったケースがあるだろうか。
第九は1824年に世に送り出されて以来、合唱付き交響曲という異例の試みによって至上の連帯感を生み出し、人類愛をうたったシラーの歌詞も相まって世界中の人たちを魅了してきた。
1989年のベルリンの壁崩壊後の記念コンサートをはじめ、世界史の重要な場面で度々演奏され、欧州連合(EU)の象徴歌でもある。あまたのクラシック音楽の頂点に君臨する第九が、日本で初演された場所という価値は計り知れない。
一方、影の部分も見え隠れする。その祝祭的な曲の性格から政治的な利用が繰り返された。第2次大戦中、日本では1940年、「神国日本」を内外に示す紀元2600年の記念行事の一環として演奏され、ドイツでもナチスの栄光を誇示するためにヒトラーの誕生日に披露された。
しかし、板東収容所の第九は「平和の第九」だった。鳴門市ドイツ館元館長の田村一郎さん(82)は言う。「戦禍の中、異国で捕らわれの身となったドイツ兵が『歓喜の歌』を響かせた。そこには望郷の念とともに、人類が融和すれば戦争もなくなるという思いが込められたはずだ」

板東俘虜収容所の歴史などを紹介する鳴門市ドイツ館と、その前に立つべートーベンの像=鳴門市大麻町桧

板東俘虜収容所の歴史などを紹介する鳴門市ドイツ館(奥)と、前に立つべートーベン像=鳴門市大麻町桧

人道的な収容所と温かな地域で国家や民族、宗教を超越した、第九そのものの価値を具現化させた板東での初演。この奇跡のような史実と友愛の精神を後世に伝えようと、鳴門市民はドイツとの国際交流を深め、全国から集う人たちと演奏会を重ねてきた。
初演からあと2年で100年を迎える今、世界は相次ぐテロによる暴力と憎しみの連鎖を断ち切ることができずにいる。日本でも近隣国と冷え切った関係にあり、差別をあおるヘイトスピーチが繰り返される。そんな「対立と不寛容」の時代だからこそ、鳴門の第九の歴史をひもとき、その後の国際交流や第九に懸ける人たちの思いを伝えることで、人類愛と世界平和のメッセージを徳島から発信することができるのではないか。
節目の100年に向けて連載を重ね、永遠に歌い継がれる「歓喜の歌」の神髄に迫る。まずは、第九へのさまざまな思いを胸に、聖地に集う人たちの姿を追った。

(2016年5月24日 徳島新聞朝刊掲載)

特集「第九永遠なり 鳴門初演100年」 東京で第九フラッシュモブ

次ページ⇨ 第1章 聖地に集う<1> 板東の奇跡に感銘

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