会社員からボートレーサーへ 宮﨑光基選手(鳴門市)に聞く

 大学、会社勤めを経て、ボートレーサーになった宮﨑光基選手(26)=鳴門市。地元のボートレース鳴門で5月20日から開かれる「日本トーター杯競走」でデビューします。鳴門高校、同志社大を経て、印刷会社で勤務した後、ボートレーサーへの転身を決意。2016年4月から1年間、養成機関「やまと学校」(福岡県柳川市、4月からボートレーサー養成所に名称変更)で訓練に励み、見事プロ選手になりました。全国各地で同期が次々とデビューを果たしていて、初陣を心待ちにしている様子。レースを控えた心境や意気込みなどを聞きました。

(聞き手=城福章裕)


―デビュー戦が目前に迫っています。現在の心境は。

わくわくしているというのが今の気持ちです。技術や経験では先輩方にかなわないと思いますが、気持ちだけは負けたくない。地元で応援してくださる方も多いので力は入ります。映像や実際のレースを見ながら、こういうふうに走ろうとか、ああいう旋回がいいなと、自分のレースプランを想像していて、日々具体的になってきています。

―会社員からボートレーサーに転身しました。

会社員でやっていくというのはあまり充実感がなくて。自分の体一つ、意志一つで左右される仕事に興味を持っていました。小さい頃から野球をしていてプロ野球選手に憧れていましたが、高校の時にけがして、夢を絶たれました。心の中にスポーツ選手になりたいという気持ちがあって、この業界を選びました。もう一つは、生まれ育ったこの鳴門の人たちに恩返しできるのがボートレースだと考えました。


―やまと学校での生活は厳しいと聞きます。

入学したのは35人で卒業の時は27人。想像通りの厳しい環境で、途中で辞めていく仲間もいましたが、そういう(辞める)ことは一度も考えたことはないです。「この業界でやっていく」と腹をくくって選んだ道。目の前の学校の生活よりも「デビューしてからどんな選手になりたいか」と、先のことを常に考えてやっていたので、目の前の厳しさは感じませんでした。

―やまと学校ではどんな生活だったのでしょうか。

スケジュール管理、規則、生活面が厳しかったです。訓練はもちろん厳しかったのですが、自分が好きなボートなので。朝は6時に起床して、点呼があって掃除、朝食、準備をして夕方4~5時ぐらいまで訓練。夕食後は自習時間で、自由時間は午後7~9時の2時間。午後10時には就寝という生活でした。

―社会人を経験してからの挑戦ですが。

高校を出てすぐこの業界に入っていたら世間についても何も知らず「まだ若いし」という浅はかな考えから辞めてしまう可能性はあったと思います。社会を経験して視野も広くなり、自分で決めたことを最後までやり通せました。

―普段の生活は。

今はデビューに向けて毎日練習しています。乗っているのは合計1時間ぐらい。朝は先輩方と一緒にレース形式の練習をして、夕方はレースの間に1人で走らせてもらっています。ランニングや体幹トレーニングをしたり、レースの映像や実際に走っているところを見て研究したりしています。

―鳴門の水面の感触はどうでしょうか。

乗りにくさはなく、乗りやすい感じです。まだ技術が追い付いてきてなく、思うような操縦ができていないところが課題です。レバー操作や体重移動、モンキーターンのやり方など技術面に加え、波の形状や風の状況の把握など、経験を積んでいきたいと思います。

―デビュー戦の目標は。

1着を取って水神祭(初めての1着、初優勝など節目の勝利を祝う行事)をあげたいです。

―今後の意気込みとファンへのメッセージを。

ボートレース鳴門と言えば「宮﨑」と言ってもらえるように1日でも早くなりたいと思います。新人らしく、気持ちを込めて、魂を込めて走るので、見ていただけたらうれしいです。

                           (2017年5月17日)

競艇選手に転身・宮﨑選手 地元・鳴門で20日初陣   2017/5/15

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