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中国残留孤児の資料をまとめた   2005/7/9 15:46
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中国残留孤児の資料をまとめた長地 敏行さん
(ながち・としゆき)

 「中国残留日本人孤児を支援しなければならない。私は、その義務を負っている」。旧満州国のあった中国東北部を二十四年間で十四回訪問し、残留孤児が発生した状況などを調べた。

 一九四四(昭和十九)年、憲兵として旧満州国と朝鮮(現・北朝鮮)との国境に近い山岳地帯の通化省(現吉林省)に配属された。翌年終戦を迎え、鴨緑江(おうりょくこう)を泳いで渡り、平壌(ピョンヤン)、京城(ソウル)を経て帰国した。逃げる途中、捕まれば殺されるという恐怖がいつもあった。

 「身を切る思いで子供を残してしまった親の心境も、独りになってしまった子供の気持ちも理解できるつもりです。帰国後、やり残したことがあるとずっと思い続けていた」

 徳島市内で司法書士をしていた八五年、司法書士仲間らと中国残留者司法援護会を結成して会長となった。八七年には、国の集団訪日調査で、親族が見つからなかった残留孤児男性の身元引受人となり、その男性の一家四人が同市内で暮らせるように世話もした。

 長地さんの資料によると、県内から旧満州国に渡った開拓団は十八団体あり、十地域に入植した。「戦後六十年。残留孤児の戦いはまだ続いている」

 日本への帰還措置の遅れなどを理由に、残留孤児らが国に損害賠償を求めた集団訴訟で、大阪地裁は孤児らの請求を棄却した。控訴審でも争われる。戦争にほんろうされ、帰国後も日本語が満足に話せないことなどから、さまざまな苦労を重ねた孤児たち。「国の対応はまだまだ不十分だ」と訴える。

 A4判七十七枚になった二十四年間の調査結果を眺めながら「戦争の悲惨さを風化させてはいけない。今のうちに、どうしてもまとめたかった」。孤児らへの支援はまだまだ続く。

 徳島市川内町榎瀬。八十歳。