高知市洞ケ島(ほらがしま)の安楽寺は、四国霊場三十番「奥の院」。
この「三十番」、歴史的に複雑な経緯がある。昭和初期から同寺と善楽寺(同市一宮)の双方が札所を主張。一九九四(平成六)年、札所が善楽寺に一本化され、安楽寺は「奥の院」と位置付けられた。
その奥の院のすぐ西隣にあるのが、薫的(くんてき)神社。
神職の装束に身を包んだ禰宜(ねぎ)の中地英彰さん(32)が、境内を掃き清めていた。だがその一角で、お寺でもないのに線香がたかれているのは、なぜだろう・・・。
実はこの神社、僧侶を祭るという全国的にもまれな神社。
祭神の薫的和尚(一六二五-一六七一年)は藩政期の「瑞応寺」住職だったが、藩主の菩提(ぼだい)寺と対立、指弾を繰り返して投獄された。獄中では食を断ち、ついには舌をかみ切って憤死したと伝えられる。時の権力を恐れない反骨、頑固一徹ぶりが人々の心の琴線に触れ、やがて寺の境内に祭られた。
その瑞応寺は明治初めの廃仏棄釈で廃れたが、間もなく境内の「薫的堂」が神社として発足。時代が激変して反・仏教の嵐が吹き荒れる中でも「気骨の和尚」に対する人々の尊崇の念は衰えることがなかった。
「神道は死を不浄としますが、本殿のすぐ裏に祭神の墓所がある。そこに参拝者が供えるのはサカキではなく、シキビ。灯籠(とうろう)や池の石橋は寺の時代のものです」(中地さん)
江戸期から明治にかけての土佐の歩みと民衆の気質が、これほど色濃く刻まれた神社もまれだろう。=おわり
【メモ】薫的神社 廃仏棄釈で廃寺となった瑞応寺の境内にあった「薫的堂」が明治3年、洞島(ほらがしま)神社として発足。昭和24年、薫的神社と改称した。勝運の神様として信仰されている。
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次回から美術館や博物館などを紹介する新企画「誘(いざな)うミュージアムin四国」がスタートします。【写真説明】線香の香りが漂う薫的神社の境内。僧侶を祭る神社は全国的にもまれという=高知市洞ケ島